2014年11月7日金曜日

なぞのほこらの謎



以前べつなところに書きかけたことだが、浅間温泉の裏山になぞのほこらがある。尾根道を登って行くと忽然と現れる、鳥居と茅葺き合掌型の屋根。屋根はブルーシートで雨対策も施され、ほこらを守っている。ほこらが例えばお稲荷さんとか馬頭観音さんとか、あるいは山の神とかならば、僕は「なぞのほこら」などと書かない。なぞのほこらと書くには充分な謎が満ち満ちている。ほこらに彫り込まれたモチーフが、剣なのだ。













 

浅間温泉の一角、美鈴湖へと続く尾根の末端をひと登りする。そこには、かつて金冠を出土させた五世紀の古墳「桜ヶ丘古墳」がたたずむ。この金冠はたしか日帰り入浴施設のホットプラザ浅間にレプリカが展示されていたな。








 
古墳を過ぎてなおも尾根を行くと、こんどは伊藤左千夫の歌碑。ここまでは案内板があったり遊歩道ふうに整えられたりしている。さらに登って行くが、道型ははっきりしており迷うこともない。





秋の深さを知る。



森はその装いを、冬の姿へと変えようとしている。




やがて、標高898.52mの四等三角点が落ち葉の中に埋もれかけている。この三角点に気付く前に、誰もが鳥居の存在に気付くだろう。



皮を剥いだ針葉樹の丸太を組み合わせ、角材の「貫」が渡されている。貫は柱の左右に突き出ているので、形式では鹿島鳥居といえる。貫はきちんと木製のくさびで固定されているが、扁額のように掲げられたものは無い。


茅葺きの合掌型の屋根に近づく前に、きちんと二礼二拍手一礼しておく。帽子は鳥居をくぐる前に取ってある。ほこらの前にそっとしゃがみ込んで、びびりながら覗き込む。


一年前に来た時には無かった酒瓶が備えられている。JIM BEAMが飲みかけなのは、捧げた人が飲んだ? ここで酒盛り? 前回はあまり接近できずに、屋根の下には入らなかった。今回、そっと覗かせていただく。ほこらは、見た感じではこの辺りに多い後期中新世-鮮新世(N3)の珪長質火山岩類(非アルカリ貫入岩)だろう。女鳥羽川の河原や拙宅の庭にもごろごろしてるやつだ。


あっ!



剣のかたち。前回眺めたときは、剣の形に窪んでいる凹状だと理解していた。が、違う。内部が空洞になっており、剣の形に「窓」が穿たれているのだ。しかも、なにやら木のお札のようなものが納められ、判読できないが墨痕のような、いやまさしく文字が書かれている。お賽銭に十円玉が二枚。


最大の謎である、この剣のモチーフは何だろう。

剣と言えば、お不動様が持っているから不動明王信仰のひとつの形だろうか。密教の法具に「法剣」てのがあったな。待てよ。八ツの権現岳のてっぺんにも剣が刺さってた。じゃあ権現信仰みたいな? 甲斐駒の黒戸尾根にも岩に刺さった剣あったし。そうすると修験道方面を探ればいいのか? それとも剣を持っているのは「烏天狗」、やはり修験道か。信州で烏天狗と言えば飯綱山だ。でも祠はほぼ西方向を向いてお祀りされていた。飯綱でも立山の方角でもない。あ、白山修験? 立山白山は、当地ではあまり聞かないな。ほとんど御嶽山だ。裏に回らせていただく。ほこらの裏とか側面に、何かないか....。


あった。昭和二年十一月吉日 集落名 中 と彫り込まれている。


集落名は、偶然にもすぐ傍らの四等三角点と同じ名前だった。浅間温泉の南側にある町名としていまも使われている。すると、その集落のひとびとがここに祠をお祀りし、いまでもたいせつにして参拝していると考えればいいのか。また、集落には、かつて松本城の城主だった水野家菩提所でもある浄土宗の古刹がある。このお寺さんの境内には滝がかかっており、お不動様が祀られていたはずだ。関連は?

そこでまた閃く。その古刹は、槍ヶ岳開山の播隆(ばんりゅう)上人ともゆかりが深い。鉄の鎖が槍の穂先に取付けられて満願成就の折り、病を得ていた上人はかの寺に滞在していたとか。とすれば上人を偲ぶ山岳信仰の「講」みたいな組織があって...? この祠は、いまでこそ樹林の底にひっそりとお祀りされている。けれど、三角点がすぐ側にあることを考えれば、以前は南から西、北方向を見晴るかすことのできる、パノラミックビューポイントだったに違いない。その彼方の、たとえば常念とか槍の穂先とかを遥拝する場所なのではないだろうか。うむむ。まだまだ調べてみなければ何も解らん。




祠から、森のトレイルは美鈴湖まで続いている。


なぞを解きに出かけて、謎は一層深まったでござる。





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