2015年12月30日水曜日

暮れの絶食

クリスマスを目前にして、なにやら激痛に襲われた。




近所で受診すると、何か起きているらしいとのこと。
すぐさま大きな病院に移される。

そこはヘリポートを備えたでかい病院で、数時間は救急で処置を受けた後、選択肢も与えられずに入院となる。着替えも用意していない。

そして希望した訳でもないのに快適な部屋に導かれた。




点滴を受けている合間に、頭上のホワイトボードを見上げて絶句した。絶句どころじゃない、絶食と書かれている。

くらくら、血の気が引く思いで自分の置かれた状況を整理する。もちろん、医師と看護士から解りやすい説明を受けた。






山の上ホテルもかくや、と勝手に思い巡らせたほど快適な空間。誰にも気兼ねなく静かで穏やかな時間を過ごすことが出来た。

しかし、腹が減る。

点滴のブドウ糖アミノ酸で代謝の維持は出来ているのだろうが、たとえばポテトチップスのパリパリとか、ナッツ類のボリボリとか、そんな食感が焦がれるように欲しい。舌と顎がそういった喰い物を求めてやまないのだ。





暮れまで幾日、と沈む夕陽を惜しみながら。

やがて病状は好転し、粥が許され三食をいただけるありがたい身の上となった。





退院の日。点滴の針が抜かれ、バリゴのリストウオッチを装着する。

おっと、ベルトの穴ふたつ分、腕が細くなっていた。喰わなかったこと以上に筋肉を全く使わなかったからだろう。



そんなこんなで、今年の暮れを迎えることとなった。諸賢にはどうか穏やかで健やかで、舌や胃袋がよじれあがるような渇望など伴わず、満ち満ちてしあわせなお年越しを。

そして来る年を、未だかつてなきほど良き一年となさいますよう。合掌。






2015年11月23日月曜日

秋の名残りのスパゲッティ


庭の菜園のトマトや茄子が終わりを迎え、野沢菜や大根が葉を伸ばしている。

小さな笊ひとつ。倒れかけた樹に残ったわずかな実りをもいだら、夏から秋にかけて僕の食卓を彩ってくれた野菜たちとも、これでお別れ。





恥ずかしいことながら、僕は毎朝、空腹で目覚める。その休日も。

ひとり台所で朝飯の思案を巡らせていると、台の上にこの笊を見つけた。前夜、冷凍庫から自家製バジルソースも見つけてあるのだ。うん、スパゲッティにしよう。秋の名残りを使って朝飯にしよう。





湯を沸かし、となりでフライパンにオリーブオイルを温め、にんにくを薄切りにする。他の野菜たちをカットして炒める。今朝のスパゲッティは細い1.2mmだ。すぐに茹で上がるだろう。


湯が沸いた。塩を投じる。これは沸騰してからでないといけない。沸騰前だと、沸くのが遅くなる。腹が減っていることは既に書いた。多めに茹でよう。基本は一人前100gだ。だから迷わず、袋の半分、250gを投じる。なあに、これぐらいがちょうど良い。


茹でながら、固めに芯を残すタイミングを推し量る。そのタイミングでフライパンの火力を最大化する。よしいまだ。麺を一気にフライパンに移す。笊で湯を切るような真似はしない。湯を絡めたままフライパンに放り込む。オイルと湯が反応して、乳化する。これで麺と具とオイルが一体となり、味わいが完成される。





休日の朝。秋の名残りのスパゲッティ、2.5人前。いただきます。












2015年11月22日日曜日

狂った胃袋


食欲がおかしい、とは気付いていた。


ちかごろ、得体の知れない、突き上げるような衝動を伴って、僕はご飯のお替わりを何杯も食べてしまう。おかしい、おかしいと呟きながら、原因を考えた。


辿り着いた答が、季節だ。新米だ。


新米が悪いんだ。

新米だけじゃない。秋が深まるにつれ、僕は冬眠前の熊と同じ気持ちになってきた。冬のひもじさに備えて、たらふく喰っておきたいと、本能が叫んでいるのだ。原因がはっきりすれば、もう怖くない。ご飯を食べ続けた。






実際には、日照時間が減るに従って、セロトニンという脳内物質が減るからだと知った。セロトニンが減ると「満足感」みたいなのが充分でなく、憂鬱になったりするらしい。そいえば、ヴェルレーヌが "秋の日のヴィオロンの...." (堀口訳)と詠み上げた季節だ。僕がご飯を食べたって良いじゃないか。




空が、絶望的なまでの寂しさで、小川のみなもに写る。そしてせせらぎは囁くようにこう言ってる。

「もっとたべていいよ」





ちぎれて浮かんでる雲のかたちまでが、もの悲しい。光と影が、もの悲しくもこんな風に呼びかけてくる。

「たくさんたべていいよ」





拙宅の裏には、陸上競技練習場がある。運動すればセロトニンが増えるはずだ。走ればいい。いや違う。余計に腹が減る。ご飯がすすむに決まってる。






林檎の樹の葉は、こんなにきれいに色づく。色彩までが囁きかけてくる。

「たべてもだいじょうぶだよ」




庭の菜園の大根が、太り始めてる。土も大根も囁きかけてくる。


「もっとたべてもいいよ」








冬を前に、僕はどれだけのお米を、この狂った胃袋に詰め込んで行けば良いのだろうか?











2015年11月14日土曜日

キンミヤの雨



朝から降りけむるような雨だった。

部屋の掃除、洗濯、そして子どもたちのカレーの煮込みを終えるとすることも無くなってしまって、台所で呑み始めようとしていた。もう昼だ、咎められることもあるまい。時刻はまだ11時台だったが、昼ということにしておこう。しかし流しの下の酒瓶は、どれも空だ。書斎に買い置きもないので、やむなくカッパを羽織って買いに出る。カッパと云ってもRabのMyriad Jacketというお気に入りのシェルだ。フードを被って酒を買いに出る怪しい男は、歩いて坂道を下り辻を折れ、やがてショッピングセンターの魚売り場に立った。刺身か、干物か、煮魚でも拵えるか....。昼酒のアテを物色していると、塩鮭の頭のところを集めたパックが目に留まった。

 うむ、こいつの目玉の裏にあるぶにぶにした奴が美味いのだ。

男はその禁断の味を知っていて、鮭の頭をこっそりとカゴに移す。さいわい誰にも見られていないようだ。




酒売り場に移動する。大雪渓をカゴに取り、角瓶も一本。そうだ、焼酎も買って帰ろう。隣の通路に移動して焼酎の棚を眺めると、キンミヤを見つけた。

 キンミヤ....

男は未だ口にする機会を持たなかったが、友人たちの多くが、この酒についてしばしば語っていた。

 「阿佐ヶ谷でやられた」
 「おれは、立石だった」
 「記憶がない。財布を無くした。家には帰ったのだが」
 「お、おれは、槍のテン場から、墜ちた

どうやら、相当に危険な酒のようだった。想像するに、口当たりが良く飲み過ぎてしまう、あるいは後から足腰に来るような凶悪な酒なのだろう。男はキンミヤ25度に手を伸ばしかけ、一瞬躊躇ってから隣の20度のボトルを掴んだ。初めてなのに25度を飲むほど、男は冒険家ではなかったようだ。



台所に戻った男は、腹が減ったと騒ぐ子どもたちに手早く焼きそばを作り、汁を椀に汲んで出した。そしてFacebookで友人たちに「俺は初めてキンミヤを買った、飲み方の指導を頼む、割れば良いのか? 生のままが良いか?」と問うた。するとすぐに「いいね!」がいくつも付いたのだが、誰も飲み方をコメントに書かない。仕方がないので男はチタン製の220mlカップに少量のキンミヤを注いだ。ぐび。おおお。





仕入れてきた塩鮭の頭を蒸しながら、男はまたキンミヤを呷った。そして空のカップをしばらく眺めた後、書斎へと向った。台所に戻って来た男が手にしていたのは、同じチタンのカップの、ただし450mlのものとさらに大きな600mlのカップだった。300mlのサイズは仕事場に置いてあるのだ。








トランギアのケトル、これは常に台所にあるのだろう、水を汲むと火にかけ、ちんちんと鳴り始めたところで600mlカップに注ぐ。そこには既にキンミヤが注がれていて、香り芳しいキンミヤのお湯割が瞬く間に出来上がった。男は満足げに二回頷くと、キンミヤのお湯割を口に含んだ。600mlカップを置くと、今度は450mlカップを満たした割っていないキンミヤを口に含む。どうやら、お湯割をチェイサーにして生キンミヤを愉しむ趣向らしい。

窓を開け、外の雨音を聴きながら、男はキンミヤを聴いているようでもあった。塩鮭は蒸し上がった。



かつていのちであったものが皿に盛られた。画像では恐ろしくまた叫び出したくなるものである。そこに箸を突っ込んで、と想像すると身の毛もよだつ。しかしキンミヤとぶにぶにしたやつは、よく響き合い、奏で合っていた。





これがいのちをいただくという行為なのだ、と男はひとりごち、目玉の裏のぶにぶにした奴を味わっていた。

 おお、鍋に豚汁がある。
 冷蔵庫には甲州土産のほうとうがある。





男は残りの豚汁を温め、ほうとうを投じた。ぐつぐつとしばらく煮込み、深皿に取ると八幡や磯五郎をたっぷりと振り掛けた。これは毎年正月に善光寺さんにお参りし、ご門前の八幡や本店で数本を買い求めて来るのだった。男は七味の利いたほうとうを堪能すると、また塩鮭に戻った。窓の外の雨音は続いている。もう男の耳には、雨が降っているのか、キンミヤが空からぽつぽつ落ちてくるのか、もう解らない。惚けたように椅子に身体を預け、いつまでもチタンのカップを舐めていた。





2015年10月14日水曜日

大天井稜線


平成27年10月12日、一ノ沢から常念乗越を経て大天井岳を往復。

山は冬の装いを始め、秋とは名残りばかりだ。忙しい季節の移ろいの、ほんの淡いグラデーションのひとかけらを眺めて触れて、感じ取ってきた一日。



真夜中のアラームで目醒め、山行きの服に着替える。隣で眠っている娘の小豆を起こさぬよう、廊下に出て支度する。パッキングは済ませてあったが、念のため装備を点検、熊鈴を確認する。だって真夜中の一ノ沢を歩くのだ。冬眠前の捕食に夢中になってる黒い坊やたちと鉢合わせなんて、勘弁して欲しい。台所で湯漬け飯を立ったまま喰らい、02時にカブのエンジンをスタート、03時には一ノ沢口で歩き始めていた。03時45分大滝ベンチ、04時05分烏帽子沢、04時30分笠原、05時45分最終水場。途中で夜明けを迎え、06時30分常念乗越。




朝日に美しい横通岳(右のピーク)。ひと月前に、僕は同じこの場所から横通岳に向った。大天井を目指したがあまりの強風に怯んで断念、悔しさをにじませて横通山頂に寄ったのだ。今日は巻いてさらに北へ、先月行けなかった大天井へ向う。




南側は常念岳ピーク。てっぺんに向って登る小屋泊まりのハイカーの行列が見えている。前日は荒れた天気だった。みんなはどうやって登ってきたのだろう。




穂高に視線を巡らせる。九月に訪のうた明神前穂の稜線はガスの中、V峰がわずかに見えている。この後は穂高も槍も、隠れたままだった。




安曇野は雲海の下。八ヶ岳は好天に恵まれたようだ。




ひと月前ほどではないが、風が強い。シェルのフロントジッパーのつまみが水平に流れている。





横通岳東方稜線。顕著なピークの烏帽子(右)と大滝(左)が並ぶ。この稜線に道は無く、残雪期にわずかな可能性で歩くことが出来る。しかし僕には、いまだこの両ピークを踏めずにいる。遠く彼方には浅間山。


僕が大好きな場所、東天井のカールが見えてきた。はたして本当に圏谷なのか。冬、安曇野から見上げるとたっぷりの雪を抱いているし、何よりもこの中に立つと圏谷としか思えないほどなめらかな地形だ。でも一ノ俣の谷に落ち込んでいる斜面にモレーンのような堆積物はなさそうだ。どうなんだろう。

以前にここへ来たとき、僕は槍からの下山中だった。一ノ沢口へ急いでいたものだから、ゆっくりと過ごす余裕無く、通り過ぎている。今回は少しゆっくりと過ごそう。




東天井岳の肩、上の写真では左側のコルになったところだ、ここで中山(2492.1m)へと続く尾根を乗り越す。この尾根には、古い時代に道があったようで、いまでもハイマツの中に道型が見えている。





カールの真ん中辺りに座り込んで、横通と常念を眺める。ふたつとも、なかなか凛々しい。何時間でもこうしていたいが、先もある。ケツを上げて北へ向おう。





これはほぼ同じアングルの2011年撮影。






途中、大正年間に築かれたらしい岩室の残骸(ビバーク好適!)を過ぎて、稜線はなおも大天井へと続く。




この稜線は、気持ちがいい。ガスが取れれば槍穂を眺め、常念を振り返り、後立山を遠望できる。ガスがあっても、こんなに気持ちがいい。





2011年の夏に撮影。





大天井が近づいてくると、山道のそこここに雪が見られた。前日の霙(みぞれ)まじりの雪がそのまま凍り付いたようだ。




大天荘と大天井岳ピークが見えてきた。おっと、燕方面はガスが巻いてる。




何度も振り返る常念。




09時30分、大天井岳山頂。










山頂三角点と歩いてきた稜線、その向こうに常念。






さて大切な儀式だ。
山の神さまにお供えを差し上げる。大福が三段なのには深い訳がある。ひとつめには、今年何度も北アの稜線に来ることが出来たことへの感謝が込められている。ふたつめには、きょう、こうして大天井岳に続く稜線を歩けたことへの感謝。そして三段めには、今年もう一度ぐらい、新雪を載せた北アの稜線でパフパフさせてくださいお願いしますという祈りが込められているのだ。





今日のお供えはこれ。大福教会美女部tamaさんお墨付きのくるみ大福。これを差し上げると山の神さまがぐふふふふふふとお喜びになるだけでなく、お下がりを頂くおいらも「うめええええ」となる。






西岳に続く稜線。その先には東鎌尾根とお槍さまがあるのだけれど、お槍さまには今年、大福をお供えしていない。だからご機嫌斜めでガスが取れない。






湯俣方向を眺める。高瀬ダム湖がわずかに見えた。






こちら、稜線に見えているのは燕岳に続く縦走路。





山頂を後にして戻りかけていると、北側の稜線の様子が見えた。北燕岳、燕山頂、燕山荘、ケンズリ、餓鬼岳。





南側の空は、こんなにも青い。





ハイマツの色、匂いともに好きなのだ。今年何回、この匂いを嗅げただろうか。四月の常念岳から数えて七回目だ。そしてもう一、二回ぐらいは.... お供え大福の効き目やいかに。





東天井カールまで戻ってきた。またケツを据えてぼんやりしよう。
いいなあ、この縦走路。














横通の山腹から。常念小屋はもう近い。






僕が住んでいる場所を眺める。

日常に戻れば、今いるこの稜線を仰ぎながら「あの場所に居たのだ」と思うのだろう。だから僕は稜線のそこかしこ、山頂や尾根に魂の欠片をおいてくる。山に居た記憶を生々しい手触りみたいなかたちで残してくるのだ。







常念小屋まで戻ってきた。そういえばあと数年で、常念小屋開設百周年。
背中の荷物はMILLETのジョリイ22というパックに詰めた。履くことはなかったが、サレワの12本爪クロモリアイゼンも入ってる。





ハンワグのクラックセイフティーを履いてきた。山から降りたらソールの張り替えに出そう。






笠原にて。朝は真っ暗で見えなかった風景。色彩の乏しさ、この寂寥感たるやもう。






秋の深さ、冬の近さ。






うん、むせび泣きたくなる。





落葉のトレイル。秋の日のビオロンの....






山の神さままじでありがとうございました。
今年もう一回か二回か、稜線の風の音と冷たさと、口の中で融ける粉雪の味わいをお願いいたします。結構本気でお願いしています。