2015年4月20日月曜日

不遇の鶏胸肉よ、異体進化するがいい。

鶏胸肉よ。
常に遠ざけられ、疎まれ、蔑まれし不遇の身よ。
いま汝に、異体進化の機会を与えよう。



ささ身に較べて旨味も少なく、パサパサした食感で子どもたちの人気もいまいち、そんな鳥胸肉を美味しく食べてやろうと色々画策してきた。鳥カツにしたり鳥ハムにしたり、それなりにしっとり美味しい食べ方も納得のいくものではあった。しかし今回の実験で、鶏胸肉に関してはアヒージョにまさる調理法はない! と開眼した次第である。




鶏胸肉は皮を剥いでおく。皮のままがお好きなら、どうぞ。  


  
  

カットする方向にご注意。筋繊維を断ち切る方向でナイフを入れていく。僕のナイフは越後の左藤蔵だけど。厚みは5ミリから10ミリ、お好みで。  
  












ソルトとホワイトペッパー。黒胡椒は、食べる直前に粗挽きのを振ったら旨そうだ、今度試そう。

スパイス/ハーブはいろいろ試してみたいが、季節的に在庫が無い。夏ごろに新しい味わいを見つけたら、加筆しておこう。    



















オリーブオイルに、にんにくとタカノツメ。にんにくが少ないように思われるかもしれん。実はこれ、このオイルは既ににんにくとタカノツメなどを漬け込んだ香油なのだ。  
  

  
中火から弱火で温度を保ちながら、煮る感じ。  










肉を裏返して反対まで、しっかり火を通す。    











さっきは別ロットを塩味で食しているので、今度は冷蔵庫のピザソースをかけてみた。

ピザソース、仕事するね。ジェノベーゼがあればさらなる高みに届きそうだが、この時期では無理だな。  
  


明日のつまみに、タッパで保存しておく。油はひたひたが理想なのだが、何故か少ない。



おい、油はどこへ消えた?  
  










椎茸「ワイが犯人やで」    












おい椎茸、おまえ有能! 美味過ぎる! バター醤油とはまた違った、深く響いてなんともテイスティなひと皿ではないか。お前ほんと有能。  
  

  
  











    





















2015年4月19日日曜日

萌えて兆すもの

拙宅の回りには果樹園が広がる。のどかな田園の一角なのだ。田舎者と嗤うがいい。

これは杏子か桃か、美しいものである。  
 



これは梨である。なぜ梨の花と知っているか、と問われれば、秋に実が成っていたからと答える。  
 

やつらも顔を出してきた。天ぷらで喰える、と聞くが敢えて喰うまでもないと決めて喰ったことがない。

ここで僕が「丘」と呼んでいる丘に向う。丘には、それはそれは美しい、まぼろしの世界の風景のような小径が続いているのだ。  
 

葉桜の下、小径を彩る水仙たち。  
 

小楢とクヌギは間もなく芽吹くだろう。新緑の頃、秋の紅葉の頃、何時来ても美しい小径なのだ。  
 

丘の上につづく花のトレイル。  
 

振り返っても美しい。

まぼろしから醒めやらぬうちに、湖の畔に出る。  
 

湖畔の桜が水面に映える。僕は夢の中をたゆとうているのだろうか。 

湖を半周ほどまわって、尾根に取り付く。遊歩道のように整えられているのだ。
 

赤松林の中を、はぁはぁ。えっ? だっておいらランしてるし。アキレス腱もハムストリングスも伸びっぱなしだし。 
 

あれも出てきた。 
 

芥子望子山山頂の桜は、三分咲きぐらいか。来週末が満開と見た。酒を携えて来るのだ。彼方に常念岳、鍋冠山、さらには三月におとのうた天狗岩。  
 

山頂のお地蔵様にご挨拶申し上げ、下山路へ。一部アスファルト区間があるので、膝を虐めてやろう。そして今日のランの本当の目的.... そう、僕がなぜ平地を走らず起伏のあるルートを選んだ本当の理由....
  
 

ぐぬぬぬぬ。あと数日待てと云うのか! 今宵の肴に、と当てにしておったのに、ぐぬぬぬぬ。  
 

何の成果も得られぬまま、前の記事でご紹介した、塩倉山・海福寺の前を通り....  
 




























塩倉池では雨がぽつぽつ、小さな円を広げている。写真中央が海福寺のしだれ桜。 
 


もう少し走り込んだら、春も爛漫。たらの芽も収穫。天ぷらで一杯。 
 
 

塩倉山 海福寺


この桜のことを知ったのはちょうど一年前にたまたまのことで、ある小さな調べものがきっかけだった。

調べもののことは後述するけれど、僕の住まいから1キロほど北の集落の、大きな池に面した丘の上にこのしだれ桜の樹がある。4月18日のこと、昨年より数日遅く訪れたものだから、枝先にわずかな萌葱色が出ていた。










開花したばかりの杏子だろうか桃だろうか、観音堂までの小径を彩ってくれる。





 








塩倉山 海福寺は、信濃百番札所の二十四番、松本三十三番札所の二十六番に数えられる古刹。案内板によると、十二世紀の初めの創建でご本尊は『聖観世音菩薩立像』。上の写真は2014年4月5日撮影。







凄いのひとこと。もう形容詞が出てこない。

昨年同様、鳥肌が立つほど凄みのある風景だった。梶井基次郎がかつて、桜の樹の下には.... と書いたのは本当のことかもしれない。いや、別に墓地になってるからじゃなくて。







ため息。





またため息。




お堂の脇には、馬頭観音さん?







この日、観音堂で手を合わせたあと、お堂の裏手に回ってみた。




立派な道祖神と念仏供養塔。
ここから南を眺めると....







お堂としだれ桜と、遠く鉢伏山。鉢伏山の右が高ボッチで、桜の樹の影には南アルプスの聖岳あたりが顔を出している。









  

 


  
























塩倉池と、東側の丘。のどかだなあ。
この東側の丘には、とても素敵な小屋が立つ。ほら。 




























    

丘の上を跳ね回る小豆、もう9歳。




さきに書きかけた調べものというのは、こういうことだ。

信濃の国の松本辺りは、海から遠い。それでも当地の人々も、生存のために塩を必要としていた。縄文時代後期末、いまから4,000年ぐらい前には海水を煮詰めて塩を作る土器製塩法が確立されている。やがて各地でたくさん作られるようになった海の塩が、この遠い山国にも運ばれてきたのだろう。こうした塩運搬のルートが「塩の道」として定着し、街道として使われてきた。そのひとつ、上越は糸魚川から信濃の塩尻まで至るルートが、このしだれ桜の立つ集落を通っていた。



『塩倉山 海福寺』

この山号が表すものは、文字通り、海の幸をありがたく受け入れて大切にしまう、古い時代の人々の精神性そのものなのだと思えた。




2015年4月12日日曜日

蕗味噌わすれまじ

今年の蕗味噌のこと、来年に備えて書いておく。記憶力がもう駄目なのだ。

安曇野の奥の里山に出掛けて春の雪遊び、帰りがけに蕗の薹をいただいてきた。林道の脇の湧き水の畔に顔を出していた可愛いやつを。




ボウルに開けて枯れ葉や泥を取り除く。そして丁寧に丁寧に水を切る。




フライパンにサラダ油を多めに垂らし、熱しておく。弱火で保温。この状態で、蕗の薹を一気に、あらみじんに刻む。ぼけぼけやってると灰汁が出て真っ黒になる。



ガスを強火に切り替えて、炒める感じで確実に火を通す。この時、最初からザラメと味醂を加える。加熱は手早く済ませたいが、味醂の水気はなるべく飛ばしておきたい。




火が通ったらボウルに移して粗熱を取る。ようするに猪口に冷や酒を汲んで二三杯呷ってる間、放置しておくのだ。





味噌を加える。フライパンの中ではなくて、ボウルで。なぜなら僕は、味噌に火を通したくないからだ。せっかく生きている味噌を使うのだから、このまま麹に仕事をさせよう。味噌を練りながら、指先でこっそり味見する。ほろ苦さが、何も足さなくていいと教えてくれる。




小皿に盛って、いただく。不思議なことに、蕎麦猪口に注いだはずの冷や酒はなぜか、すぐになくなってしまう。おかしいおかしいと首を傾げながら、注いでは呷り注いではあおる。小皿の蕗味噌もすぐになくなる。首を傾げながら、こちらにも盛っては味わい、盛っては味わう。辛口の「大雪渓」がいつの間にか空になってる。そうだ、「そば前酒」が一本隠してあるあることを思い出して、小躍りする。こうして、春が満ちていく。