2015年7月25日土曜日

いまさらながら おにぎらず

僕はなぜか、この日まで「おにぎらず」という存在を知らなかった。オンエアや雑誌といったメディアに全く接触しないからだろう。

で、いつものように夜明け頃に起きてたまたま開いたクックパッドのページで見て「お。作ったるわい」と作ってみた。ただそれだけのことだけど、ここに書いておこう。





せがれの大豆は納豆が好きである。まあ理由は離乳食に納豆ばかり喰わせていたからだろうけど。そこでおにぎらずにも納豆。




朝飯に目玉焼きを焼いてやるのが習慣。ここにも半熟目玉焼きが使われている。この後、同じものをお替わり要求された。




娘の小豆は焼きたらこを好む。炒り卵に焼きたらこ。




そこへ胡瓜、ごはんを載せてコンプリート。




右のふたつは炒り卵と胡瓜。あっという間に喰われた。具材に工夫すれば弁当にも使えるなこれ。





梅仕事は順調に進んでいる。ロットは9を数え、それぞれが天日干し中、あるいは笊待ちなどのステータスで進んでいる。完成したものもある。

そんな折り、僕は昨年同様に松葉杖生活にはまってしまった。左脚のケガで、夏の間はどこへも行けそうにない。胡座も正座も、無理。キーボードを叩くのもひと苦労なので、この偏執手帳もささやかな夏休みとなりそうだ。みなさん、どうか良い夏を。里山で、稜線で、岩壁で、真っ暗なゴルジュで、どうか忘れ得ぬほどに素敵な時間を過ごしてください。




ちくしょう。

2015年7月20日月曜日

奴等を斃し芋を掘れ

悪夢だった。

有り得ない光景が広がっていて、僕は早朝の庭に呆然と立ち尽くすしかなかった。
芋畑が、消えていたのだ。


四月に植え付けた二種類のじゃが芋。シンシアとキタアカリの畝には、数日前までは緑の魔境を思わせるほどの力強さで茎も葉も高く茂っていたのだ。先日もすぐ傍らの梅の樹の下で落ちた実を拾いながら、お盆前に子どもたちに掘らせるか、と考えたのを覚えている。


それが、ない。土が畝型に露出して、枯れたようにしなびた茎が長々と横たわっている。もう声が裏返っちゃって「じょこいっちゃっちゃの」とか変な言葉が出た。


やがて我に帰って、しゃがみ込んで横たわる茎と消えかけた葉っぱの残骸を観察する。すると居るわ居るわ、黄色い身体にトゲが突き出たが大量に蝟集している。びっしり。こいつらが突如として沸いてきてじゃがいもの葉を食いつくし、茎をしなびさせて畑を消滅させたことは容易に想像できた。ていうか、眼前の事実で消え残ったわずかな葉っぱを齧り続けている。くっそやられた感に打ちのめされそうになりながら、足元の土を少し掘ってみる。土の下から芋が無事に顔を出したのに胸を撫で下ろし、すぐさま報復を考えた。


みなごろしにしてやる。






 ▲こいつはトマトの樹を食害し始めた成虫(幼虫の写真は自粛する)






いちど書斎に戻って、google先生に尋ねてみる。ジャガイモ、害虫の検索で、全く同じ蟲の写真がずらっと出るではないか。ぐぬぬぬぬぬぬぬ、テントウムシダマシ、断じて許さん。こいつらはナス科の作物にも付くらしい。庭の反対側には茄子、胡瓜、トマトなどが植わっている。被害が広がる前に殲滅させねばならん。ざっくり調べて薬剤を探すと、天然成分を謳ったスプレーが見つかる。この日は休みだったので雨の中、カブを駆ってホームセンターの開店と同時に薬剤を購入、引き返すやすぐさまツナギに着替えてスプレー片手に、かつてじゃが芋畑だった場所に立った。



雨は上がっていた。みておれテントウムシダマシ。一匹たりとて、この庭で生き延びることは許さぬ。僕は憤怒に燃える瞳から烈火をスパークさせ、かつてじゃが芋の葉っぱだったところに向けてスプレーをかけた。奴らはころころと落ちる。念のために、長靴の底で潰す。いのちを潰していることに躊躇(ためら)いはある。しかし菜園の作物を守らねばならないのもまた、僕の務めである。


大学生のある夏、旅の途中、京都の伯父の家に泊めてもらった。家というか、戦国時代の動乱にも焼けずに残り、今では拝観料を取るような古刹である。伯父は住職であった。翌朝、庫裏の裏の菜園でトマトだか茄子だかをむしりながら、伯父は箸で青虫を捕まえていた。青虫を集めては容器に放り込んでいた。そうか、お寺では殺生をしないんだな。僕はそう感嘆した。しかし伯父は、裏庭の奥にある鶏小屋に向い、数羽のチャボにこの青虫を与えた。これが好きなんや、とか言いながら。僕は、殺生とは何か、仏の教えとは何か理解している訳ではない。しかし伯父の行動にひどく混乱してしまって、その混乱は未だ解決できていない。


話が逸れてしまった、申し訳ない。

とにかく、僕のじゃが芋の地上部を数日のうちに食べ尽くしたテントウムシダマシ(ニジュウヤホシテントウ)を放置しておくと、茄子もトマトもみんな喰われる。だからこれを防ぐために駆除する。




 ▲被害を受けたミニトマトと犯虫一味(右)




 ▲羽化直後の成虫 




じゃが芋畑への散布が終わったので、庭の反対側にある夏野菜畑の様子を確認してみる。居る。さっき見た幼虫とは違った、てんとう虫そっくりのテントウムシダマシ成虫があちこちに齧り付いている。ゴム手袋を付けてひとつずつ、潰す。一時間以上掛けて、ひとつ残らず潰す。夕方も、翌朝も。




害虫は駆除された。じゃが芋の葉も茎も失われたので、もう掘り上げるしかない。例年より二十日早いがやむを得ず、畝をスコップで崩していく。小芋がどんどん出てくる。これから太ろうという時期に葉をみんな喰われたのだ。くそっ、収穫は昨年の半分と見た。梅雨明けの太陽で光合成が行われて、でんぷんが貯め込まれるはずだったのに、蟲どもめ。







呑気に構えてねえで補食しろよ。




2015年7月15日水曜日

豚骨原理主義者の心得


旧blogだったか旧々だったか、僕は「豚骨原理主義者の作法」について述べた。その内容とは、豚骨屋のカウンターにおいての正しき立ち居振る舞いについて述べたものである。つまり、注文の仕方、待ち方、丼が供されてからの麺の食し方、味玉にかぶりつく最適のタイミング、替え玉の手順、スープを飲むことの是非等、完食までの流れと場面場面での正しき作法を時間軸に添って書いたものだ。今回は、自宅等キッチンにおいて豚骨ラーメンの材料を用意するところからはじめ、素材、下ごしらえ、そして調理してどんぶりに盛るまでの流れを書こう。


用意する豚骨ラーメンは、市販されている袋麺で良い。この世の中には、小麦粉の選定、製麺、豚骨スープの自作から手がける達人も存在する。しかしここに至れば達人などと気安く呼ぶべきではなく「豚骨聖」と呼ぶのがふさわしかろう。つまり、麺、スープの自作はあまりにも遠い地平なので、本稿ではインスタントの袋麺で良しとする。


ただし注意しなければならない事柄がある。


まず、麺は醜くちぢれたものではいけない。正しい麺とは、真っ直ぐである。つぎに、黄色く染め上げた麺ではいけない。正しい麺は白くあるべきである。今回は、熊本・五木食品の『クマもんの熊本ラーメン黒マー油入り』を採用したが、博多長浜、久留米などでも好ましい品が市販されている。










次に、具材である。豚骨ラーメンの正しい具材とは次の五点に限る。ひとつ、青葱。ひとつ、高菜漬け。ひとつ、紅生姜。ひとつ、白胡椒。ひとつ、白ごま。以上である。

青葱は、どんな間違いを犯してもこれだけは間違ってはならない。白ネギなどを決して用いてはならないのだ。白い葱を刻んだ瞬間、その豚骨ラーメンはすでに終焉を迎えている。

高菜漬けは、支那産のものが多く売られているが、信州では「ツルヤ」店頭で国産品が手に入る。九州の家庭では普通のようだが、僕はこれを炒めて味付けしたものを常備し、高菜ご飯などにも展開させている。

紅生姜であるが、これは初夏から出回る新生姜を買い求め、梅酢に漬けて自作している。大量に仕込んで通年味わうのだ。焼き魚に添えたり、そのまま齧ったり、活躍の場面は多い。

白胡椒であるが、いかなる過ちを犯したとしても黒胡椒であってはならない。北アルプスの稜線に降る雪の如く、正しき豚骨ラーメンに振られる胡椒は絶対に白くなければならない。

白ごまであるが、炒りごまでも摺りごまでもでも構わない。

ここにキクラゲの記述が無いことを訝しく思われるかもしれない。たしかにキクラゲは重要である。重要であるが、必要不可欠ではない。あれば好ましいもの、と位置づけておく。





この日は日曜日である。だから肉を添えよう。焼豚は常備していないので、豚バラ肉を炒める。にんにくは信州松本産の地物。





大切なことがある。ひとつ。ラーメンのスープに用いる湯は、茹で湯ではなく、さらの湯を使う。





大切な事柄の、ふたつめである。青葱は、摘みたてを用いる。湯を沸かし始めてから庭なりプランターなりから、摘む。青葱の自家栽培は豚骨原理主義者の基本である。鮮度のうかがい知れないものを購入するなど、断じて在ってはならない。

青葱は、麺を茹でている間に刻む。したがって麺の茹で上がりと刻み上がりが同タイミングになる。かため、バリカタ、ハリガネぐらいを好む向きには差し支えないが、「粉落とし」を信条としていると忙しくなる。




完成である。

これぞ、これこそが正しき豚骨原理主義者の豚骨ラーメンである。









2015年7月12日日曜日

やけくそ弁当録

好天に恵まれた週末なのに所用で山に行けなかった悔しさをにじませてここしばらくの弁当画像をやけくそ気味に上げていくという誰得の記事がいま誕生した。



左のは、地鶏もも肉焼き、右が自作キンピラとセブンのベーコン、自作セロリのピクルス、自作梅干。以下、自作は「J」とする。





国産銀鮭焼き、Jキンピラ、J青葱(自家菜園の意)、カップ麺。





Jキンピラ、鶏もも焼き、セブンの上級ウインナー、J唐揚げ前夜の残り、J梅。鶏もも焼きは大好物で、常備菜としている。ポリ袋を用いて鶏もも肉を日本酒に漬けておき、数時間後に砂糖と麺つゆで味付けする。1時間ほど置いてフライパンで皮目からがんがんに焼く。蓋をしないとキッチンが汚れるので蓋をする。焦げたかな? ぐらいまで焼くと、ほとんど火が通っている。それでもひっくり返して反対側を強火で焦げ目が付くぐらいまで焼く。ここにポリ袋に残した漬け汁をざあっと掛け回し、蓋してひと煮立ちさせ、粗熱を取ってタッパで保存。三四日ぐらい平気で保つ。弁当箱に詰める時は薄切りにしてレンジで加熱、冷ましてから。切ったまま弁当に入れると、夏ならまな板の細菌で確実に腐敗する。





Jかき揚げ(前夜の残り、茄子、新玉葱と人参)、J唐揚げ、J梅、セブンのベーコンとウインナー。こどもが弁当持ちだったので唐揚げを作ってる。かき揚げだが、これも大好物で、油を含んだ衣をがっつがつ喰らうと「うおおおおおお!」とアドレナリンが出るから不思議だ。





総菜コーナーの49円コロッケW、国産鮭、目玉焼き、セブン兄弟。総菜コーナーのコロッケが入ると凄く高い満足感が得られて困る。目玉焼きが頻出するのは、坊主の大豆が朝飯でこれを喰らうからで、一緒に焼いてるのだ。






焼き明太子、目玉焼き、鮭、Jキンピラ、豚ロース焼き、J梅、セブンの。キンピラも頻出するが、毎週末に作ってローテーションしてるからだ。






焼き明太子、鮭、めだま、J梅、セブンの、Jキンピラ。目玉にかかっているのはマジックソルト。





茸のソテーJ梅肉和え、セブンの、総菜コーナーの魚フライ&コロッケ、Jキンピラ、J梅。納豆に付属している芥子を常備しておくと、揚げ物や肉に添えて、ウマー。ソースはもちろんナルゲンのボトルなどで携行している。





鶏もも山賊焼き、ハム入り玉子焼き、Jキンピラ、マカロニたらこソース、セブンの2匹、鮭。山賊焼きというのは、信州松本の郷土料理で、鶏肉ににんにく、蜂蜜、醤油で下味をつけ、片栗粉にまぶして揚げたもの。こう書くと南となりの塩尻方面から猛烈な抗議があろうが、これは塩尻では山賊焼きは塩尻がオリジナル、という認識が浸透しているためだ。これは松本側にも伝わっており、松本の飲食店組合だかに加盟してる知人たちが山賊焼きの共通ロゴ、のぼりなどのツールを作成して「松本が元祖」を主張している。僕にはどっちでも良い。





茸梅肉、豚バラ炒め、J人参とピーマンのJ梅肉和え、ツナ入り玉子焼き、Jトンカツ前夜残り、セブンの1本。アンド柿ピー!






緑のたぬき、J小葱、茸のソテー、Jキンピラ、豚バラ焼き。庭の青葱は家を出る直前に刻み、密閉して携行する。ふう。






冷食のポテトを潰したようなやつ、茸ソテー、豚小間肉炒め、セブン兄弟、J海苔の佃煮、目玉、J人参ピーマン梅。海苔の佃煮は、載せた瞬間に「まずった!」とパニックになりかけたが、昼には普通に美味しくいただけた。


おのれの胃袋に消え去っていくだけの定めを背負わされた弁当たち。いささか不憫でもあったので、毎日アイポンで撮っておいた。僕が「クイーンオブランチボックス」と尊敬してやまないさかした師匠には敵わないが、時おり、こうして晒そう。






2015年7月5日日曜日

梅仕事2015、第二章

まず、二番目のロット。第一章で触れた白加賀の5kgは、瓶の中で梅雨明けを待っている。二番目に仕込むのは、やわらかな果肉と上品な香り、食味で評価の高い「南高梅」を7kgとした。この梅たちは長期保存しながら経年変化を調べてみよう。





6月30日。いつもの売り場で、和歌山県産、南高梅2Lサイズを7袋購入。ブランド梅だけあって、熟し具合も揃った良い感じの梅を手に入れることが出来た。こいつも塩分15%の「やや減塩」で試してみる。平日の夜だが、娘の小豆に手伝ってもらう。洗った梅を丁寧に拭きながら、成り口のへたを取り粗塩をまぶしていく。そして桶の中に広げた漬物袋の中に、丁寧に詰めていく。なお漬物袋は国産品で食品衛生法に適ったものだけを使用している。詰め終わったら上からまぶし残した塩をざっとかけて、袋の口を緩く縛る。あとは重しを載せるだけ。重しは漬物石、ダッジオーブン、酒瓶で計11kgとした。



前章でも水上勉さんの言葉をご紹介した。その折から同じ本を読み返していて、ほかにも良い言葉に出会えた。

 梅にも醍醐味があって、その味は、ぼくという人間が、梅にからんで生きてきているからである。

突き刺さる言葉である。では、僕が漬けて干す僕の梅の味には、僕自身が絡めているだろうか。己にそう問いかけることには、多少の勇気が要る。そしてまた、こういうことを問いかけること無く、考えてみることもせずに梅干を作っていたおのれが恥ずかしい。





7月3日。南高梅はたっぷりの梅酢を上げてくれた。桶を空けねばならんので、またビンへと引っ越しを行う。









続いて、三番目のロット。
7月4日の土曜日、朝から売り場へと向う。おお、群馬県産の『見切り品』が出ている。品種等級の記載が無いのは、売れ残ってしまった梅の中から傷んだ物を取り除いた混成チームということだろう。圧倒的に安いので6袋全部を購入、使えない梅は諦めて、きれいな物だけを漬け込むとしよう。なあに、僕の弁当用だ、見た目など気にしない。





洗って見ると、数粒、傷んでいたので取り除く。このロットは15%とかで仕込むと黴が出たり発酵が起きたりしそうだから、20%で仕込む。大樽に隙間無く並べ、1.2kgの粗塩をまぶした。重しは12kg。

24時間後には七分ほどまで梅酢が上がっていた。見切り品だからもう少し慎重に、黴を警戒し続ける。





おっと、四番目のロットだ。これは心に残るものになるに違いない。



というのも、拙宅の庭の梅の樹が、今年、これまでで一番の実なりなのである。特に手入れをしている訳ではないが、庭の梅で仕込む梅干というのが、嬉しい。この二、三日で落ちた梅を集めてみると2.5kgある。やはり黴を懸念して20%の塩分。小さな桶を探し出して、ペットボトルで8kgの重しから始める。始める、というのは重しは徐々に軽くしてやるからだ。なおこちらも24時間後には梅酢が浸かるぐらいまで上がってくれた。





 人は、手でつくることにおいて、はじめて自然の土と共にある。

これも水上勉さんの言葉である。欧州に出掛けてワイナリーのあるじから話を聴いた折り、その熱さに打たれた、という文脈において、このことばが出てくる。庭の梅の樹は、僕が植えたものでもないし手入れしている訳でもない。それなのに不遜極まりないが、僕自身も少しだけ、自然の土と共に存在できるかもしれない。