2016年12月31日土曜日

犬飼山を越えて鮪に会いに行く

年の瀬の一日、少し離れた街まで、鮪を味わいに出かける。

よく晴れて風の冷たい夕刻、シェルを羽織って念のためにクラバも携え、家を出る。飲みに行くというのに、松本御城下の街に降りて行くのではない。裏山というか、西の方の丘を登って行く。


僕の住むまちは松本市街地の外れで、田園に接する。少しのぼって行くと神沢池という静かに水をたたえる池に出る。風がやや強いにもかかわらず、不思議とみなもは穏やかだった。




果樹園の小道をさらにのぼって行く。松本市街地の東半分が、眼下に広がる。左から袴越山、美ヶ原王ケ頭、茶臼山、三峰山、鉢伏山。




のぼり詰めた先からは、北アメリカプレートが糸魚川静岡構造線に向かって落ち込んでいるプレート境界を見下ろす。安曇野の盆地の下に構造線が通り、その向こうにユーラシアプレートの端っこが見えている。端っこといっても、標高三千メートルに聳え立つこの列島の屋根だ。




風景を楽しみながら、今宵出会うであろう鮪の味わいに思いを馳せている。




こんな小道を辿りながら、嗚呼赤身、うう中トロ.... そんなくぐもった声が出てしまう。




ここが犬飼山。

お社がある。ここから急な山道を200mほど下って行く。帰路、夜はここを登り返そうと思っていたが、やめておこう。




お参りする人たちが手入れしているのだろう。しかし倒れた巨木や崩れた土留めなど、夜間に歩くのは容易でもないな。




おびただしい数の石たち。祈りの深さ、願いの切なるを伺い知る事が出来た。




朽ちかけているが、荒れてはいない。




正月を迎える準備は整っていた。




犬飼山を下って、奈良井川を渡る。この堰で拾ケ堰(じっかせぎ)の用水の水を分ける。用水はたたえた水で安曇野を潤し、烏川に注ぐ。




会えた。まぐちゃん。おいしい。好きだよ。愛してる。






のろのろと過ごしているうちに、なかなか山にも行けず、旅にも出かけられず、日々は過ぎた。気がつけば今年もあと残り8時間余り、時の流れとは忙しいものである。ことし得たものは指のひとつふたつで数え足りるだろう。一方で喪ったのはウイスキーのボトルと人生の残り時間。それでも僕は、今年いち年の山の記憶と味わい、えにしと出会いに感謝して、そして未来への希望を胸に生きていけそうだ。

ここへ来てくださったすべての皆さん。穏やかにこの年を送り、そして新たな良き年を迎えてください。信州松本のはずれから、お祈り申し上げます。







2016年11月13日日曜日

初冬常念 一ノ沢みち



11月6日、めずらしく休みを得て一ノ沢に道を拾う。

朝05時に山靴の紐を締め、まだ明けやらぬ谷底のトレイルを歩き始める。06時過ぎに王滝ベンチ、07時過ぎに笠原通過。笠原の手前から雪が出てきた。





夏から秋の台風大雨のためか、沢筋の様子が一変している。流れが岸辺の土をえぐったのだろう、見覚えの無い巨岩が露出していた。霧の中、最終水場を通過。ここも荒れて以前とは異なる風景だった。小尾根に乗ってジグザグと高度を稼ぐ。09時20分、乗越に出る。





もう小屋締めとなって無人の常念小屋前から、聖なる穂先を遥拝。

風が強い。シェルのフードとバラクラバで耐える。一応書いとく。シェルはRabのエクソダス・ジャケット、ボトムはfinetrackのストームゴージュ・アルパインパンツ、ブーツはハンワグのスーパーフリクション。








10時50分、山頂に立つ。

アイフォーンのカメラが壊れている。というかアイフォーンそのものが壊れている。いいのだ、これから電話屋に出かけよう。




さて。何のためにここへ来たのか。

お供えである。


お槍さま、山の神さま。今年はじぇんじぇん稜線まで這い上がって来る機会がありませんでしたごめんなさいすいません。大福餅を重ねてお供えし、柏手を打つ。御礼を口の中でごにょごにょしたあと、むしゃむしゃとお下がりをいただく。うめえええぇ。


乗越まで戻って、お槍さまとお別れ。また来ます。


乗越から下はガスの中。時折ぽつぽつ落ちてくる。絶望的なまでに寂しい晩秋の色彩の中を、沢音とともに下る。15時半過ぎ、入山地点に戻り装備を解いた。





山の神さま、ありがとうございました。







2016年10月24日月曜日

遠見尾根の秋








少し前。
久々の休みに、遠見尾根を訪れた。天気予報は雨。でも気圧配置から高所は雲の上と睨んでテレキャビンに乗る。雪の無い遠見尾根は始めてだ。



ガスの中をゆっくり登っていく。やっぱりだめかな。




地蔵のケルンまでは全くの無視界だったけれど、小遠見山のてっぺんに近づくに連れ、時折ガスが切れる。一瞬、遠く雲海を見晴るかすと、雲の上に近づいたと判る。




小遠見の山頂には、大勢のハイカーたち。みんなガスが取れるのを待っている。






小遠見の山から徐々にガスが抜けていく。





うん、錦秋のトレイル。




梢に、空に、秋の深さを知る。





ついに、雲の上に出た。

冒頭に掲げた、鹿島槍北壁と天狗尾根上部の様子も、この瞬間に眺められた。




雲海の向こうに白馬鑓ヶ岳と、その北の稜線。八方の尾根も賑やかだろうな。



 

五竜のお山はガスの向こうだった。
中遠見山頂にて、山の神さまにお供えを差し上げる。もちろん、むしゃむしゃむしゃ。




地蔵の辺りはまだガス気味。池溏が映す空の色も暗い。





ペアリフト、すごく怖い。足下の空間が、あまりにも虚無に思えてしまって。

そうだ思い出した、僕はゲレンデで滑った経験が無いので、リフトという乗り物に始めて乗るのだった。




アルプス平でお昼ご飯にする。この日は、お肉を味付けして持ってきた。こいつを出汁と一緒にうどんに投じて味わう。温泉玉子はコンビニで調達、青ネギは庭の菜園から。

アサギマダラがひらひらと舞っていた。






山の神さま、ありがとうございました。




2016年10月16日日曜日

火星でねこを売る


或る夜。

僕が帰宅すると、中学生の大豆が茶の間で夜食を喰っていた。あぐらにねこを載せて玉子掛けご飯をぱくつく姿は、なんともたくましいものである。

「大豆、ただいま」
「おう、おやじ、おかえり」

ウイスキーでマグを満たし、部活の事などを話していると、大豆は火星旅行だか火星移住だかの話を振ってきた。TVでやってたらしい。大豆の膝のねこが火星と聴いて耳をぴくりとさせた。どうやらこいつも、火星旅行に興味を抱いているようだ。

「そうだ大豆よ、おまえ大金持ちになれるぞ、ねこを売って来い」
「へ?」
「だからさ。この辺野良猫が多いだろう。こいつらをリアルねこ集めしてな、さらに増やすのさ」
「へ?」
「それで、火星に運んで売ってくるのだ。火星人はねこを見た事が無い。絶対欲しがる。」
「あ!」

「考えてみろ。
 もし、生きてるティラノサウルスの赤ちゃんが売ってるとしよう。
 なら、世界中の大富豪が、いくらでも金を出す」

「うほ!」

「同じことが火星でも起きる」
「おおお!」

「それでな、マネーの替わりに、火星にしか存在しないレアメタルで払ってくれる。おまえは地球に無かったレアメタルを持って帰る。世界中のハイテクと軍事産業を支配できる。おまえは地球の支配者になれる」

「うおっしゃぁぁぁ!」

 この勢いで、ねこは振り落とされた。火星に売られていくという運命を、知っているのだろうか。知っているならば、どう受け止めているのだろうか。ドナドナなのか。スプートニク2号に載せられて地球周回軌道を回ったライカ犬のことを聞かせてやろうか。そんな思いがよぎったが、僕と大豆はねこを売って儲ける話の方が大事で、ねこを放っておいた。

「いろんな種類が居た方が良いが、雑種で良いよ。丈夫だって言うじゃないか」
「三毛猫とか高く売れそうだ」

「あれだぞ、レアメタルでいろんなブレークスルーが起きるな。充電不要のバッテリーとか」
「CPUがもっと早くなるとかな」




 「こんなやつでも、買ってくれるかな」
「向こうじゃ美意識も違うだろう、地球で最も醜いねことして、一番高く売れる」


 夜遅くまで密談は続いた。ねこはふたたび大豆の膝に戻ってごろごろ唸っていたが、眠くなったのだろう、大豆の部屋に行ったようだ。

「おやじ、おれ寝る。楽しみだよ」
「おやすみ、楽しみだな」





数年後には、僕のせがれが地球に無いレアメタルを手に入れる。僕は仕事を辞めて、彼のマネージャーになる。莫大なマネジメント報酬をせしめて、そうだな、南の島でも買って優雅に暮らそう。






2016年9月18日日曜日

僕の食欲がそろそろ....


逝ってしまった夏を惜しみながら、いつの間にか実りの秋への期待で鼻孔を膨らませている。やれ秋刀魚の初物だ新米だそろそろ松茸採りにいかなきゃ、と舌と胃袋が先走る。それより秋の穂高バリはどうするとカレンダーを眺めれば、テントを担いで出かけられる日が全くない事を突きつけられる。

そう、年内はテント泊は無理だ。もしかすると、運が良ければ、暮れに北アの片隅で雪まみれになれるかもしれない、そう自分に言い聞かせて秋の穂高を諦める。ここのところバリルートや春山で組んでいるJにも申し訳ない。J、許せ。





日曜日しか休みが無い。その一日をせめて心楽しく過ごそうと、近所の浅間温泉で湯浴みすることにした。





この券売機が、凄い。発券時のサウンドが、まるで未来のレールガン発射装置の装填音なのだ。ゲームやアニメ、映像の音響なんかをやってる人が聴いたらむちゃくちゃ興奮するだろう。これを聴くだけのために、信州松本浅間温泉会館を訪なう価値がある。





館内は松本民芸家具なんかの落ち着いた調度。このとき僕は、風呂上がりだというのに脂汗を浮かべていた。

背中をごしごし擦る動作で肩から腕にかけての筋を痛めたようだ。なんと、身体をほぐそうと湯浴みに来て筋を痛めて帰る、まるで喜劇である。





裏の蕎麦畑の花が満開である。新蕎麦の季節も近いのだ。傷めた肩をさすりながら、まるで敗北して人生の舞台から消え去ろうとするような風情で、僕は家路についた。といってもチャリで20分。そしてまた多忙で退屈な一週間が過ぎてゆく。





今朝。空腹で目覚めて飯を炊き、肉を焼く。

ああ、この季節が巡ってきたのだ。とにかく腹が減って、飯が美味くてしょうがない。酒よりも飯が捗る不可思議な季節。毎年のようにこんなこと書くが、がつがつ、食欲が前に出て来るのだ。

なので、最近の酒の肴やおかずの写真を貼って、おしまい。


家族のための夕食。大豆小豆の大好物で、ニンニクとオリーブオイルでソテーした鶏もも肉のブロックをトマトソースで煮込んだもの。パスタや温野菜を添えて食する。





新秋刀魚を入手して三枚におろし、塩と梅酢で締めて味わう僕のつまみ。





或る夜、松本市内の島内というところでぶらりと入った酒場にて。鰯の刺身を頼んだら、骨を揚げて添えてきた。僕はこういうのに弱い。





自宅でサバ缶をマヨネーズで食する。赤いのは前の項で書いた赤い奴。始めてクックパッドにレシピを載せたらいろんなメールが来て笑えた。





天ぷらとか自分で揚げますからほら。夏野菜アゲアゲー





朝ご飯はこんな感じですよ。え? 黄色いスライムみたいなの?

マヨネーズに決まってるじゃないですか。





八月に大豆や小豆と名古屋に出かけて、大豆が頼んだ蕎麦。

彼は絶句してましたね。

ええ、なぜならばつゆに八丁味噌のようなものが溶かしてあった訳で。だからお前、信州を出たら蕎麦を頼んではいけないとあれほど....









2016年9月10日土曜日

美味炸裂する赤い奴を仕込む


その調味料に、まだ名前は無い。

我が家では「赤い奴」と呼ばれ、僕によって中毒者となった人々からは「あ、あの... あれ...」と称されている、純和風の唐辛子発酵調味料である。

冒頭に掲げた写真は、ある日の僕の晩飯である。焼き肉に添えられた赤いペースト。種のようなものが混じっている。過去にもご紹介したように、乾燥させない赤唐辛子、青唐辛子を醤油麹に漬けておき、ペーストにしたものだ。





冷や奴にも載せて味わう。この豆腐、信州松本・原という女鳥羽川流れる田園地帯に工房を構える、合名会社 富成伍郎商店という豆腐屋のお豆腐である。富成のお豆腐というのは、昨年、日本一美味い! という評価が下されたお豆腐である。拙宅のご近所でもある。日の本一と讃えられるお豆腐に、唐辛子を載せる? 例のグルメ漫画の展開であれば、「ふん、これほどまでに繊細な味わいを、唐辛子で食するとは、田舎者め。片腹痛いわ」となって、その倅が「ならば本当に美味い唐辛子調味料というものを教えてやる!」となる。

漫画と違うのは、ここで活躍するのは「岡星」のあるじではなく「偏執手帳」のあるじである。本当に美味いものは、ここにあるのである。


秋の兆しとともに庭で収穫される、あるいは市場に出回る唐辛子系の作物を、僕はひたすら集め、探し求めるのである。



これは長さ5-7センチぐらいの品種。とにかく辛い。タカノツメに匹敵する。





醤油麹にしばらく漬け込んでおく。

この漬け汁、実はきわめて貴重な漬け汁である。麹が醸した多彩で多様なうまみ成分が溶け合い、そこに辛みを忍ばせている。破壊力は凄まじく、刺身、納豆、おしたし、その他すべての醤油活用場面に大活躍である。たとえばぬくいご飯にこの醤油を垂らすだけで、もうたまらん。新米の収穫を迎えたこの時期にこんな事を書けば、再来年からはコメの作付け面積を増やすぐらいでは済まなくなる。





数日漬け込んだ唐辛子を、袋に移しておく。明日あたり、フードプロセッサーに掛けよう。





今年から新しい挑戦も。北信濃や越後の山際で栽培されている「ぼたんこしょう」と呼ばれる品種。肉厚の皮は甘いが、種と白い果肉が凄まじく辛い。青い皮、赤く熟した皮、そして種と果肉の三つに分けて拵えてみよう。





そしてもちろん、王者タカノツメ。乾燥前の完熟品を漬け込んでやれ。





むはははっはははは。
麹たちよ、唐辛子なら好きなだけ蹂躙するが良い。



僕によって中毒にさせられた被害者たち、という書き方をした。筆頭は家人で、僕が隠している赤い奴を盗もうとして、しばしば叱責を受けている。職場の或る人は、これを定期的に受け取るために、困難な職業上のミッションを受け入れている。ご近所の複数人は、旅行や出張の折の(やや過剰な)土産物を忘れない。本当に美味なるものは、僕をしあわせにするのである。