2016年1月31日日曜日

峠へ。そして頂へ。


すこし前の雪が、まだ里山を真っ白につつんでいる。そこへ一昨日の新雪が載って、歩けば気持ち良さそうだ。カンジキを携えて、出掛けてみた。





松本市郊外の、岡田伊深という地籍に残る道祖神。

このあたりではどこにでも見られる風景だが、この道祖神は、街道を見守ってこられた。この細道は、はるかいにしえから京の都と善光寺さんを結ぶ、北国西脇往還(善光寺街道)という街道である。標高740m。




歴史ある道、善光寺さんの阿弥陀様のお慈悲に通じる道だけあって、道沿いには石仏、供養塔、馬頭観音など、実に多くの祈りが刻まれている。




集落の外れから山道に分け入る。ここは馬飼峠と刈谷原峠への分かれ道。どちらの峠を越えても、刈谷原宿に至る。僕は右へ、刈谷原峠へと足を向けた。驚いたことにスノーシューらしきトレースがある。




この足跡。群れを成していないのでニホンカモシカだろう。




木漏れ日の道を、峠に向って。




慶應年間の銘がある馬頭観音。




ほかにもたくさんの馬頭観音。峠越えの険路に重荷を運んだ牛馬の苦労が偲ばれる。




刈谷原峠、標高1,010m。松本城のお殿様も、江戸表に伺う時はここをお駕篭で越えたという。




スノーシュー氏はこのベンチに座ったようだ。雪を除けたあと、一昨日の新雪が載っている。トレースはここで途絶えている。ここから引き返したのだな。




僕はこのベンチでカンジキを履いて、東へ、尾根伝いに道を拾っていく。




モナカ雪だけど、沈むことはない。




行く手には、けものたちの足跡が賑やかだ。




影法師にも出会えた。




無人の尾根道、ノートレース。




梢という梢が、みんな氷漬けになってる。このせいで、入山辺の扉温泉という所ではたくさんの樹々が倒れ、温泉の泊まり客が難儀したそうだ。そう、今朝の新聞一面に出てた。




振り返るとおのれのカンジキ跡。




氷漬けの梢。




上手山の頂きに着いたようだ。頂きといっても、標高1,108.1の小ピークに三角点「上手山」が設置されているだけ。上手山をなんと読むのか、僕は知らない。




雪から掘り出した三角点。




山頂の南側。ガスの向こうに浅間カントリーのコースがうっすらと。




東側の様子。尾根通しに下っていけば、稲倉峠(しなぐらとうげ)に降り立つ。




珈琲を愉しもう。インスタントだけど。ストーブはトランギアのTR-B25。ストームクッカー風に自作したスタンド兼風防を使用して。ポットは僕のいちばんのお気に入り、MLVのチタンポット。子どもたちには「俺の骨壺にしてくれ、入らなかった分は善光寺さんに納めてくれ」と頼んである。




このスタンド兼風防、以前にも書いたからここでは省くけど、ほら、燃焼中のトランギアを手に持てるって良いでしょ?




ポットひとつのぬくもりで身体もよろこぶ。




さて、往路を戻る。




氷漬けの森よ、ありがとう。




道祖神まで戻り、ゲイターを脱いでストックを仕舞う。初午のお稲荷さんを作ろうと、油揚げを買って帰宅。さて、そろそろウイスキーでも....





2016年1月17日日曜日

ひと鍋の牛すじ肉の物語

その牛すじ肉との出会いは、暮れも近い師走の19日、土曜日の夕刻だった。仕事場からの帰り、肉売り場を覗いた僕を手招きしていたのは、100g当たり178円でパック詰めされた国産の牛すじ。手羽先でも合い挽き肉でもない、牛すじ肉だった。





もちろん僕は、世の中のほとんどの人がそうであるように、牛すじ肉が大好きで、とりわけ国産の牛すじ肉を好ましく思っている。そして皆がやるように、この好ましい牛すじ肉を柔らかく炊いて、信州の地酒のぬる燗や上質な蕎麦焼酎のアテにする。

ただ少し皆と違うのは、僕は「牛すじ肉を独占したい」という欲求が強くて、家人や婆さまの口には、ひとかけらも分け与えることをしない。とにかく、僕が大好きな牛すじ肉と12月19日の土曜日に出会うことができて、僕はこの牛すじ肉を柔らかく炊いて、独り占めしようと企てたという訳だ。






牛すじ肉は、そのままでは灰汁が強いから下茹でする。鍋にたっぷりの湯を沸かして、ひと口に切った好ましい牛すじ肉を湯がいて、水に晒す。さらした後で、蜂蜜と味醂、日本酒と少しの水で、柔らかく炊く。このとき気を付けなくてはならないのが、まだ塩を入れないこと。料理酒を使うと塩気が混じるから使ってはいけない。灰汁が出たら掬い、柔らかくなるのを待つ。ごりごりしたすじの硬いところに竹串が入るくらいになったら、根菜と蒟蒻、茸を加える。後は弱火で少し炊いて、味噌を加えるか、醤油にしようか迷う。定番の味噌炊きが最後まで主張を貫くかに思えたが、僕は「白出汁」という誘惑に負けた。

白出汁を少し注いで味を見る。そうだ、醤油を数滴たらそう。味醂も少し加える。







こうして、好ましいこと限りない国産の牛すじ肉は、ある年の暮れにある台所で、ひとつの鍋の中で柔らかく炊かれ、根菜と茸と蒟蒻を添えられ、白出汁を基本とした味わいにまとめあげられた。残されたミッションは、この好ましい牛すじ肉を蹂躙し、攪乱し、諏訪の銘酒『舞姫』との競演を愉しむだけである。

しかし、この牛すじ肉の煮込みは、一度冷ましてやらねばならない。味わい深く染み通り、僕の舌を喜ばせるためには。だから鍋ごとひと晩、しっかり冷ます。


明くる日曜日の朝。ある作業があって僕は草刈りをしていた。真冬の草刈りと聞けば訝しく思われる向きもあろう。これは信州の伝統行事で小正月に行われる『三九郎』という道祖神の火祭りの準備なのだ。作業後、仲間同志で酒を飲んで、御馳走が振る舞われた。腹をくちくして微醺を帯びて帰宅し、飲み直したのに牛すじのことを忘れた。間抜けである。


月曜日の夜。つまり好ましい牛すじ肉が炊かれて翌々日のことである。僕はついに、禁断の鍋を開闢し、牛すじ肉を味わい尽くすことにした。まず、好ましい牛すじ肉を温めながら、葱を刻む。そしてS&Bの『柚子こしょう』を開封する。器に牛すじ肉を盛る。葱を載せる。柚子こしょうをチューブからひねり出す。蕎麦猪口には諏訪の『舞姫』がなみなみと注がれている。箸を持った右手は高々と掲げられ、箸先は真っ直ぐに牛すじ肉を差している。それは、獲物を狙って急降下する猛禽類さながらの様相を呈している。次の瞬間、この限りなくも好ましい牛すじ肉は、僕の口に放り込まれた。



 う、美味い。  
 うますぐりる。まうい。


出会ってから実に、まる二日の後の出来事であった。

もちろん、味わうのは僕独りである。何故ならばこの牛すじ肉は僕のものであり、僕が味わうために仕入れ、調理し、整えたものであるからだ。 





物語はここで終わらない。始まったばかりである。
ひと鍋に炊かれた僕の牛すじ肉のその後を、追いかけてみよう。 

この僕の牛すじ肉は、大きな密閉容器に移され、冷蔵庫の「僕専用の棚」に格納された。僕専用の、というのは文字通り僕専用で、家人や婆さまも絶対に手を出してはならないアンタッチャブルな区画のことで、何があるかを見ることも許されてはいない。そんな場所で、牛すじ肉は大切に保管されたのである。 しかし、如何に冷蔵庫での保管とは云え、雑菌の繁殖など衛生上の問題が発生する。したがって二、三日に一度は「火入れ」を行い、傷まないようにしなければならない。12月23日の夜に行われた、実際の火入れの様子を見てみよう。


鍋にあけられた僕の牛すじ肉の煮込み。コラーゲンが融け出ているので、ぷっるんぷっるんである。容器の形状そのままに、巨大なキューブとして鍋に鎮座している。これを一度溶かし、ひと煮立ちさせ、少し味わって残りをまた冷ます。


ここで厄介な問題が起きてしまった。突然の入院である。 

ある大きな病院のベッドで、僕はたったひとつのことだけを考えていた。冷蔵庫の、僕の牛すじ肉である。点滴の針が穿たれた左腕を睨みながら、病室の天井を見上げながら、僕は僕の牛すじ肉に思いを馳せていた。思いを馳せる、というのは間違いか。妄執にも似た歪んだ心配を注いでいた、と書くべきだろう。あるじの不在に、寂しさに震える僕の牛すじ肉。きっとぷっるんぷっるんに、冷めたキューブを震わせているはずだ。暗い冷蔵庫の中。隣に並ぶ保存食の瓶たちは、慰めてもくれない。きっと悲しい思いをしているだろう。なんと不憫な僕の牛すじ肉。 

一秒一秒の時計の針を刻みながら、僕は僕の牛すじ肉のことを案じていた。

家人や婆さまに食べられてしまうから?
いや、それは有り得ない。

僕専用の棚の安全保障は完璧である。
僕が心配なのは、腐敗である。

僕の大切な牛すじ肉が傷んでしまって食べられなくなるなんて、耐えられない。 僕の牛すじ肉を腐敗から守る方法、そのことに考えを集中させた。まず思い浮かんだのは、家人に連絡を取って火入れを施してもらう、というアイディアだ。何度か電話のダイアルまでしかけたが、これは断念した。いくつもの理由があったが、どうしても妻に借りを作るわけにはいかない

次に思い浮かんだのは、婆さまに頼むというアイディア。しかしこれも思いとどまった。家人や婆さまに「火入れ」を頼んだ場合、最悪なことが起きる。それは冷蔵庫の僕専用の棚の安全保障が破綻することを意味する。「パパから頼まれたから....」という前例を作ってしまえば、今後容易に敵対勢力の侵攻を許してしまうことを意味するからだ。 

僕の牛すじ肉の保存という事柄が、僕の家庭と家族の環境というバックストーリーにもみくちゃにされている。僕の牛すじ肉がおかれた状況は、あまりにも不幸すぎる。僕は知恵を尽くした。脳漿を絞り切る思いで、遂に最善の解決策を見いだしたのは、入院翌日の夜ふけだった。そしてそれは、天啓だった。



入院三日目の朝が訪れた。
その日のうちには、僕の牛すじ肉に火入れを行わなくてはならない。僕は10歳の娘に、メールを送った。

 冷蔵庫のパパの棚に 
 青い容器があるから 
 電子レンジにフタのまま入れて
 200wで15分チンしてね



昼過ぎ。娘が病室にやって来た。父の書籍などを携え見舞いに来たのだ。家の近くからバスに乗り、松本駅のバスターミナルで乗り換え、病室に辿り着くという冒険である。まだ10歳、独りでバスに乗ることも、ましてや乗り換えも初めてである。病院を訪れて混雑する受付で病棟を訪ね、ナースステーションで病室を聞き出して、僕の目の前にはにかんだ表情で立っていた娘の姿は、文字通りの天使であった。

僕は病室までの大冒険を果たした娘を讃え、ねぎらい、感謝を伝えた。もちろん、抱きしめながら、あのことを尋ねることを忘れなかった。 

 青いフタの入れ物、分かったかい?

 「ちゃんとやったよ。いまはもう冷ましてるよ」


神は見捨てなかった。
僕と僕の牛すじ肉は、救われたのだ。





ひとつの鍋に炊かれた僕の牛すじ肉。その味わいの絶頂期に、あるじの入院、不在という予期せぬ出来事を迎え、腐敗の危機に直面する。万策尽きたかに思われたある日、10歳の娘の活躍で窮地を脱する。まさに波瀾万丈の運命をたどった僕の牛すじ肉は、もちろん傷むことなく、冷蔵庫の然るべき場所で、僕の帰りを待っていてくれたのである。

退院後、年越し新年の数日はお粥で過ごし、元旦も黒豆を数粒齧っただけだった。三日になってようやく、そろそろ、と近所の丘と湖を巡る長い散歩に出かけ、帰宅。『舞姫』は入院前に飲んでしまっていたため『大雪渓 特別純米酒』の封を切る。まだ明るいが構わん、正月だ。しばらくぶりの酒だ。そして僕の牛すじ肉だ。



ああああ..... 美味い。うますぎる。


2016年1月4日月曜日

病み上がりの青空に

三が日の間、正座する場面で、その異変に気付いた。

ケツの骨が、足に痛いのだ。土踏まず辺りに載っているケツ骨が尖ったような感覚。あれれ、という違和感はすぐに、足腰の筋肉が減っている事実を突きつけてくれた。暮れの一週間、点滴を受けながら病院のベッドで過ごしている間に、筋肉が衰えてしまったのだ。




あああ、梢の先の青さが目にしみる。



突然の入院で、僕は年末年始の山を諦めていた。常念岳へ、安曇野側から烏川渓谷へ入り、東尾根からのアプローチ。二の沢の合流点の先の取り付から二泊三日で狙う計画を練っていて、ワカンの手入れ、アイゼンの爪研ぎ、さらに食糧の準備も済ませていた。この計画が、入院が決まった瞬間に蒸発したのだ。さらに悪天候での代替案、黒百合テン泊での天狗岳も流れた。入院中は痛みをこらえながら歯噛みして、二泊以上の山は春の連休までお預けとなったことを嘆く。





病み上がりの青空に誘われ、ここらで少し歩いておこうと近所の裏山へ出掛ける。松本市街地から国道254を三才山トンネルへと少し走る。駐車場には僕のカブだけ。




戸谷峰1629mという。毎年数回は足を運ぶ場所だ。




日陰には雪が残っている。大晦日遅くに降り出した雪だ。




この樹に会うといつもエロチックに感じてしまう。国道からやまみちへ分け入ってしばらく、落葉広葉樹が占める。




稜線に出ると、アトラスが迎えてくれる。いつも書くのだが、アトラスはホオの樹で、僕の古い友達。




山頂へと続く広やかな尾根。北側にだけ雪が残る。




野生動物たちの息づかいが聴こえるようだ。




戸谷峰山頂。元日ハイクで大勢の人が訪れたのだろう。




山頂から西を眺める。安曇野には薄く雲がかかっている。その向こうに聳える常念山脈の峰々。槍穂にはガスが巻いていたが、霞沢岳のK2、主峰は見えている。




大滝山から大天井をズーム。




東側、遠く浅間山、中景に上田の独鈷山。右手前の黒いのは、戸谷峰と稜線つながりの六人坊。




南側、鉢伏山から塩嶺峠のライン。拡大すると、甲斐駒、北岳、仙丈が見えている。お分かり頂けるだろうか。




気持ちの良いトレイルを踏みながら下山。




鹿の角の根っこを拾った。




帰り道に必ず寄って行くお宮さんがある。御射神社さんといって、信州一宮、お諏訪様に連なる神さまが春宮さん、秋宮さんと、それぞれお祀りされている。春宮さんは浅間温泉の一角に鎮まっておられ、秋には『松明祭り』が執り行われる。これは、山から里に下っておられた田の神さまを山にお帰しするお祭りで、秋冬を神さまがお過ごしなさるのがこの秋宮さん。ここ、御射神社秋宮さんの境内で感じる「気」はもの凄い。御神威そのもの。




正面鳥居より。境内に老杉がうっそうと茂るお社である。

往路で寄ったコンビニには大福がなかった。お供えも携えずにやって来てお叱りを覚悟していたのだが、山の神さまは「ちっ」と仰っただけ。どうやらお見限りではなさそうだ。調子こいて、今年も何度も出掛けてこよう。