2016年4月29日金曜日

ねんぼろの春



ある春の週末。

私は里山の奥に棄てられたように延びている廃林道に汗を流していた。連休を前に身体を少し虐めておこうと、起伏のあるところを選んで10キロほどを走っていたのだ。長い区間、赤松と落葉松の林の中だった。最初の峠を越えて下りにかかる頃、樹林がまばらになって視界が開け、思わず立ち尽くしてしまった。





山嗤う、と言う。

まさにその通りで、「みどり」という色はかくまで多様なのかと思い知らされる。下界では散ってしまった桜も、まだ咲いている。うむむむ、美しいものだとアイポンを取り出して撮る。小休止をかねてしばらく眺め、私は再び走り出す。

やがて田園地帯に降りて青々とした麦畑の傍らを通り、田植え前の乾いた田んぼを眺め、別な峠に向けて登り始めた。この林道も、ふだん通る車もなく、獣害防止のゲートが掛かっている。ぜいぜいと喘ぎ、峠はもうすぐ、と己に言い聞かせること50回目、目の前の風景にまたもや、足を止めてしまった。









振り返ると、まだ咲き残る桜色。うむむむ、美しいものだ。


ペースを落として走り始めた所、すぐに峠に至った。ここからは家まで下り一本調子なので、あとは喘ぐこともない。着地のときに膝にわざと負荷をかけながら、それ以外は周りの風景なんかを愉しもう。


おっと、路傍に野蒜(のびる)がたくさん出ている。当地では「ねんぼろ」と呼んで、ごくありふれたものなので特に珍重されることもない。根っこというか球根を掘り起こし、ヒップバッグに無理矢理詰め込む。





ざっと洗って泥を落とし、きれいに掃除する。






 




水気を切って粗く刻む。この刻み加減が肝で、細かすぎると食味を損なう。




刻んだ端から味噌に混ぜ込む。放っておくと風味も辛みも消し飛んでしまうからだ。味噌は、青唐辛子を生のまま刻み込んだ、しかも二年前の秘蔵のやつを使う。ねんぼろの味わいの裏側に、ぴりりとした辛みを忍ばせる企てだ。








夕方になって、娘の小豆が散歩に行こうと誘って来た。櫟や小楢が芽吹き始めた近所の丘に遊ぶ。




帰宅すると、朝の長いランの疲れが出ていた。この疲れを除くには、あれしかない。




冷蔵庫に隠していた『大雪渓 生酒』の封を切る。蕎麦猪口になみなみと注ぐ。もちろん、アテはさっき仕込みを終えた「ねんぼろ味噌・青唐辛子風味」である。蕎麦猪口を呷る。春の味わいが口いっぱいに広がる。こうして春は満ちていく。








ある朝。お冷やご飯があったので、おじやにする。前夜に鯵の干物を焼いたものをほぐしておき、混ぜ込む。これを丼に盛って、ねんぼろ味噌を添える。





もうね、星がいくつとか数えてるうちはね、美味いものには決して出会えませんよ。















2016年4月15日金曜日

湯の湧く不思議な尾根



それはまだ風の冷たい日々のことで、北ア前衛の尾根にもたっぷりの雪が残されている頃のことだった。私は歩き残していた道なき薮尾根を辿り、秘峰と呼ぶにふさわしいあるピークを踏むべく、安曇野の奥の山裾を走っていた。そのピークには、2013年5月、残すところ距離で400m、標高差200mまで迫ることが出来たが敗退。いつかは、という思いで雪の締まった3月を選んでやって来たのだ。

ところが、林道の奥の方、以前にはなかった「冬期間通行止」のゲートが設置されていた。しばらくは閉ざされたゲートを睨み、諦めきれない思いをどこへぶつけるか苦悶したりしたが、結局はアプローチを断念し林道を降りた。私は雪上装備を携えたまま、しらじらと明けゆく安曇野の田園に立ち尽くしていた。


ぐぬぬぬ、山の神さまへのお供えの大福餅も行き場を失ってしまった。新調したアックスはいまだ氷の冷たさを知らず、研ぎ上げた12本爪は雪を求めてきゅうきゅう啼いている。こいつらが可哀想でならず、私を視線を巡らした。夜は明けようとしている。この時間から這い上がれる場所で、氷雪に刃と爪を喰い込ませるに適した場所はないか。

唯一、エキサイティングな時間を与えてくれそうな場所が有明山だった。宮城のゲートから少し歩かねばならないが。もとより山頂までは無理。白河滝はまだ凍っているかもしれないが、直下までなら行けるのではないか。しかしチキンな私は、時の進みと黒川沢のデブリを勘案し、有明山に向かうべきではない、という本能の声に従った。ぐぬぬ、もはやこれまで、か。


もはや諦めて、帰って飲もう、そう決めたときだった。現在地のすぐ左側に冨士尾山という風化した花崗岩の山があることを思い出した。最初に訪れたのは2009年頃の初夏で、尾根道には頭上までの笹、山頂の1キロ以上手前で引き返している。同年初冬に再訪すると、弱まった笹の繁茂の下に道型を拾って目立たないピークに至ることができた。そこから眺めると雪はだいぶ消えているが、それでも歩ければ拾い物だ。




西へわずかに走り、別荘地最奥の松林の中にリトルカブを停める。標高720m。松林を少し進み、林道終点の建物脇からかなり急な斜面を這い上がる。





やがて温泉の源泉を汲み上げているのか、また小屋がある。




小屋の前には、小さな流れが出来ていた。温かい。




痩せた尾根の急登は続く。標高900m近く、やがて視界が開けてきて東から南方向の眺望が得られた。




この先にも、尾根の上に設置された四角い升状の構造物が現れる。ここから湯気が出ているのを見たことがある。これも温泉関係だろう。南側の小ピークを見てみる。





以前には気づかなかった手製の山頂標識があった。【温泉山 ユゼンヤマ (仮称) 990m】とある。ここからは、南西方向に大滝山の白い稜線が望まれた。


時々、崩壊地の上を歩く。切れ落ちた側に樹林がないために眺めがいい。やがて西側の北丿沢から登ってくるルートと合わさるが、多くの場合は気づかずに通り過ぎてしまうだろう。なぜならば、すぐに現れるふたつの円筒形の井戸(ポンプ?)から「ごおんごおん」という響きに気を取られるだろうから。盛んに蒸気も吹き出している。尾根の上に源泉ポンプ? やはり不思議な山だ。



温泉が湧くのは、多くの場合、谷底だ。河川の下刻作用で削られた大地の奥底から源泉が湧き出るというのは頷ける。また谷、沢そのものも、断層という岩盤の割れ目に沿って浸食するわけだから、谷のラインは断層に一致することが多い。山間部の古くからの温泉地は谷の底、というパターンにはこうした訳がある。しかしここ、冨士尾山では花崗岩質の痩せた尾根の上で源泉を汲み上げている。重ねて書くが、不思議なことだ。





尾根のやまみちに、茸山を示す警告が頻出する。ビニル紐が張られ、採るな、罰金だ、と警告は続く。やがて、路傍に佇む馬頭観音さまに会う。山仕事で荷役に倒れた牛馬を供養したものか。左手、西側には沢音が聞こえる。ここから、トレースがだんだん薄くなる。






踏み後はしっかりしていて迷うことはないが、薮なれぬ人だとロストすることもあるだろう。所々に残された赤テープを尾根通しに拾って歩く。ただしこれは登りの話で、下りだと枝尾根に引き込まれそうな場所が数カ所ある。枝尾根にも茸山や林業関係の赤テープも見えていたから、読図が欠かせない。松の根と花崗岩の塊が激しい抱擁をしている場面に出喰わす。愛の形のひとつを見る思いである。







このあたりから尾根は雪に覆われてくる。道型を探し、灌木の枝をくぐり笹をかき分けていく。笹の海を行くときに役立つのが、ブーツで地面近くの空間を探る感覚。笹の葉の下に埋もれた道型を探していく、藪山の醍醐味である。



まだかな? という感覚を何度か経て、山頂に到達する。山頂の雪は溶けていた。



南東が開け、美ヶ原と鉢伏山の間に八ヶ岳が望まれる。北西には、梢の向こうに合戦尾根と燕が間近である。




道は行き止まりで、枝尾根への分岐点に「下山道なし」という告知がある。実際ここを下降した人に聞くと、えらいこっちゃだったそうで。




ケツを据えてアルコールストーブに点火する。Sanpo師匠のアルコールストーブ【Sanpo CF Stove】、私のは初期のモデルだ。 




湯を沸かしている間に、山頂の三角点にお供えを差し上げる。大福の三段重ねである。やがてポットが鳴り、珈琲をいれてアロマを楽しみ、山の神さまが大福にご満足いただいことを確認の後、むしゃむしゃむしゃむしゃ、うめぇ。











 



往路を戻り、松林に停めたカブに跨がり、安曇野の田園地帯を少し走って「ほりがね道の駅」で野菜なんかを買い込み、常念さんがよく見える場所でまたカブを停める。


















 



常念岳、横通岳、そしてあのピークも見えている。
もう何年も前から思い描いていたあのピーク、今日アプローチすることすら叶わなかった2467mピークのことは、完全に諦めた。無雪期は薮で絶対不可能、これは過去に証明済み。積雪期は林道閉鎖、もういいよ。




常念岳のズーム。

とにかく山の神さま、ありがとうございました。

2016年4月10日日曜日

ボルドーの朝、ウイスキーの午後




ぶらり、ヒップバッグにボルドー、ククサ、そしてチーズを忍ばせ田んぼ道、野道を拾ってきた。信州松本の市街地はずれ、林檎畑や葡萄畑が広がるあたりである。農家の庭先の梅は散り始め、桜が咲き始めている。草雲雀たちはまだ歌わないが、私は古い歌を口ずさみながら、春の週末をこころから楽しんでいた。もうすぐ、あの桜に会えるのだ。





塩倉山海福寺。鎌倉時代の創建とも伝えられる古刹で、今は無住だが丘の上に観音堂が建ち、傍らに大きな枝垂桜の樹がある。二年前の春に、私はこの樹に出会い、その花の美しさ、風景を含めた荘厳な佇まいに圧倒された。昨年も会いに来たし、また来年も会いに来るのだろう。それはそれはすばらしい枝垂桜なのだ。





これだけの枝振り、目の前には大きなため池、市街地を見下ろせるロケーション、のどかな田園の風景と組み合わせると、見物の人も集まりそうである。しかし城下町の住人たちは、松本城のお堀端や弘法山といった人気の場所に繰り出すのみで、こんな郊外にまで足を伸ばさない。





今日は自宅から歩いてきた。まだ朝だ。ウイスキーの時間じゃない。私はカンパ・ラ・パックからボルドーを取り出した。カンパ・ラ.パックはたった数十グラムのヒップバッグだが、ボルドーもククサも、Q10(カメラ)の交換レンズまで収納して余りある。

ボルドーで友人から贈られたククサを満たしてやる。ククサの、白樺の滑らかな手触りは、唇に舞い降りたシルクのようなキスを想像させてくれる。そんな官能の悦びさえ覚えながら、私はボルドーを口に含んだ。舌に感じるタンニン、鼻孔にあふれる葡萄の香り、私の敏感な快楽のスイッチはボルドーに翻弄され、このすばらしい風景を愉しむゆとりもない。





加えて、チーズを齧ってボルドーの狼藉を鎮下させようとした試みは無惨な敗北を迎えてしまった。チーズが、寝返ったのだ。まず、チェダーの馥郁たる濃厚な香りが、ボルドーを駆逐するどころか、私に襲いかかって来た。そこへ、ボルドーのフルボディから繰り出されるパンチと、チェダーのまったりとした味わいが渾然一体となり、私の魂は揺さぶられ、味覚と嗅覚は境界を失って奔流となり、意識は朦朧となって桜色の風景に溶けていった。







  □ ■ □ 


朝の枝垂桜の風景とボルドー、そしてチェダーチーズ。これはあまりに甘美すぎて、私は少し疲れてしまった。









そうだろう? 美しすぎるひととふたりきり親密に過ごす時間は、甘美でありすぎるがために疲れるものなのだ。私はもう十分に、大人だ。ワインの味わいと同じぐらい、人生の味わいというものをわきまえている。





午後の散歩は、別な丘に向かった。私の友人ご一家ではこの丘のことを「庭」と呼んでいる。そう、丘に面して暮らしておられるのだ。この丘は、私の棲む町の一角で、来週にはここで花見の予定がある。しかし来週では葉桜だろう、いまの花の盛りを眺め、脳裏に焼き付けておこう。

私は、今度はワインではなく、ウイスキーのポケット瓶を尻のポケットに忍ばていた。なぜなら、もうウイスキーにふさわしい時間と思えたからだ。それも、水や炭酸水で割らないウイスキーに。





パラダイスだ。ここは、パラダイスだ。ウイスキーを呷る。カリフォーニア辺りなら「ミラー・タイム!」と言うのだろうか。しかし私はミラーもバドも、ビアをそれほど好まない。さらに私が居る場所は、カリフォーニアから十分すぎるほど遠く、しかも海を隔てている。まだ明るい午後の早い時間、割らないウイスキーを呷るための、これだけの理由を見つけることができて、私はしあわせだった。






松本城を見下ろしている。お城にお殿様がいる時代だったら、打ち首になるのだろうか。





色とりどりの花々が咲き誇っている。ここは、新緑の頃も美しい。葉陰濃くなる季節もたまらない。小楢や櫟(くぬぎ)が主体の森だから、紅葉も見事だ。そして冬、葉を失った梢が頭上に凍え、雪と静けさに包まれた丘もすばらしい。舌を焼き、胃に向かって落ちていく溶岩のようなウイスキーが私に語りかけてくる。そうだ、お前は十分にタフだ、森で遊んでいないで高い所へ行ってこい、岩と雪の壁を這い上がってこい....。ここ数週間、春の北ア稜線でどんな過ごし方をしようか悩んでいる心情を、琥珀色の液体にすっかり見抜かれていた。






半分ほどに減ったウイスキーを舐めながら、しばらく花を、樹々を、そして眼下の市街地を眺めていた。そろそろ夕方も近い。私は帰って、料理をしなくてはならなかった。鶏肉は下ごしらえを済ませてある。米も研いである。この風景との別れを惜しみながら、私はルガーをホルスターに突っ込む替わりに、ウイスキーをリーバイスの尻に仕舞った。あとは丘を下るだけだった。