五月の終わり、ハイキングから帰ると山独活(やまうど)が届いていた。
乗鞍高原の天然もの。この季節だけの、至高の味わい。半分はご近所の友人宅にお裾分けしたのち、食べ方をあれこれ思いめぐらせ、炊き合わせで頂くことにした。
まだ土が着いている。ありがたい山のめぐみだ。
炊き合わせるに、身欠き鰊を買い求めてきた。許されるならば、かちかちに干し上げられた本物の身欠き鰊を使いたい。今回は、懐具合と下拵えの手間を勘案し、山独活に手間を取られるから、とアメリカ産のソフト鰊で妥協する。
鍋に番茶を煮出しておく。これは番茶の渋み、タンニンでソフト鰊の臭みを抜くため。
煮立たせて中火で数分置いて、番茶は流してしまう。
そこへ、鰹節と昆布で取っただしと黒砂糖、たっぷりの日本酒を注ぐ。弱火でことこと、小一時間ほど炊く。
その間に山独活の下拵え。畑の栽培ものと違ってそこそこ灰汁がある。重曹をちょっぴり使って灰汁抜きしよう。
たっぷりの湯を沸かしたら、山独活を投じて下味の塩を少々、そして重曹をひとつまみ。
ぶわあっとなったらすぐに火から下ろして笊にあける。流水で一回だけ、洗う。灰汁抜きしすぎると持ち味も抜けてしまうからだ。
若い穂先と軸に切り分けておく。来年は、この切り分けを先にして、穂先の灰汁抜きはせずにおこう。
ことこと煮詰まってきた鰊の鍋に、みりん、そばつゆの順に加える。そこへ、山独活の軸だけ放り込んでやる。ひと煮立ちしたところで鍋を火から下ろす。
冷めて味が染み込むのを待っている。
目の前に、鍋の中に、香り高い山独活と鰊が居る。まだ冷めていないから、箸を出せない。堪えられない、我慢が出来ないから仕方なく蕎麦猪口に酒を満たしてやる。冷やで良い。立ったままぐびり、と呷りながら鍋の中を見る。山独活と鰊はそのまま居る。もう、冷めるまで、と我慢が出来なくて、少し味見する。
ふわあああああ。
舌の上から口中に広がった、山独活の香りとほろ苦さが鼻孔に回る。鼻孔に回ってきた瞬間に、ああ、春はいつの間にか満ちて、もう夏が兆しているのだと知る。鰊の脂の濃厚な照りが、山独活の渋みと溶け合って、どこまでも嫌らしくない。冷や酒を口に含むと、酒精が脂を溶かしながら喉を降りていく。
ああ、米と麹と、山独活のある列島に生まれたことが、限りなくしあわせなことに気づかされる。海の彼方からは鰊が届いて炊き合わされて、僕をくらくらさせている。
山の神さまありがとうございます。今宵はこれを堪能します。海の神さまありがとうございます、お恵みを授けていただきました。
身欠き鰊を炊いた所へ載せた山独活の穂先は、とても柔らかく官能的で、目の覚めるような鮮やかな緑をまとって悩ましく、僕はまだ酔ってもいないのに幻惑されて、そのうち空になった皿を惚けたように眺めているしかなかった。