2016年6月26日日曜日

夏のはしりのスパゲッティ


里山のハイクから帰ってくると、今朝炊いたご飯がなくなっていた。育ち盛りの大豆と小豆が、あさ、ひると食べてしまったのだ。お昼はどうしよう? と思案を始めたら、キッチンの台の上に、笊に乗った野菜たちが置かれていた。茄子もピーマンも、いまは実を採る時期ではなく、樹を育てるときだ。成った実を小さいうちにもいで来たのだという。それでは小さなピーマンと不揃いの茄子で、僕のお昼のスパゲッティをこしらえよう。


野菜はざくざく切って、冷蔵庫のリーフも足してやることにした。庭の大葉もたっぷり刻もう。にんにくと唐辛子、オリーブオイルに塩だけの仕立てで、夏野菜の季節の「はしり」の贅沢。麺は1.2ミリの極細を300グラム。なあに、山から帰って来たところだ。





夏のはしりのスパゲッティ、三人前ですが、いただきます。







2016年6月24日金曜日

地の果て、空に悶死する


それはおぞましい風景だった。



眼下に広がる、この大地を、何と例えたら良いのだろう。地上から見上げる、おびただしい邪悪なる瞳。地球に穿たれた、無数の虚無の深淵。あるいは、悪魔の腎臓の組織標本。

起伏の少ない陸地に、大小さまざまな河川が蛇行を繰り返し、海へと注いでいる。その蛇行の様子は、原生動物のいやらしい鞭毛(べんもう)の揺らぎのようでもあり、異界に発せられるパルスを写しているようでもある。

ここは北極海に面した、ロシアの北の果て。







その日。
私は、瞑想を始めてしばらくのちに、幽体を身体から引きはがすことに成功した。

ゆっくりと上昇して高空に昇ると、北へと向かった。佐渡を眺め、日本海を飛ぶ。ほぼ同じ高度を保ちながら、北海道、樺太を過ぎて、オホーツク海上空から大陸の空を飛んだ。アルダン高原を過ぎてレナ川水系に入ると、レナ川の本流と共に流れ下って北極圏に向かった。





タイガの大原生林には人間の生活の痕跡はまれで、滑走路を一度見たのみ。長い飛翔の末に、ようやくツンドラ地帯に入った。すると、風景は一変し、大森林は消え、不気味で醜悪なまでの文様が広がっていたのだ。




もう、叫びたくなる。





自分はトライポフォビアであったことを知らされる。突きつけられる、と書いた方が正確かもしれない。




北極海に流れ出す川が、巨大なデルタを形成している。その文様....







もうやめてくれ。




奇妙なタイル状の地形。




私を不安にさせる、配色と文様。




 た  す  け  て  く  れ







以下の画像は、同じ縮尺である。比較用に東京湾を貼付けておく。実際のスケール感、距離感を感じていただければと思う。


我らがメトロ。おっと、チャイさんの屋根が移ってる。





極悪な瞳たち。深淵を見るとき、深淵もまたこちらを見ている。ってニーチェが言ってたが、その通りならば私は嘔吐する。





北極の海に突き出された悪魔か死神の指にしか見えない。





この造形。もうね....






もうだめだ。しぬ。



さあ、あなたも。
お手元のアイフォーンで。アンドロイドで。iMacで。





2016年6月12日日曜日

山独活を鰊と炊く


五月の終わり、ハイキングから帰ると山独活(やまうど)が届いていた。

乗鞍高原の天然もの。この季節だけの、至高の味わい。半分はご近所の友人宅にお裾分けしたのち、食べ方をあれこれ思いめぐらせ、炊き合わせで頂くことにした。






まだ土が着いている。ありがたい山のめぐみだ。





炊き合わせるに、身欠き鰊を買い求めてきた。許されるならば、かちかちに干し上げられた本物の身欠き鰊を使いたい。今回は、懐具合と下拵えの手間を勘案し、山独活に手間を取られるから、とアメリカ産のソフト鰊で妥協する。





鍋に番茶を煮出しておく。これは番茶の渋み、タンニンでソフト鰊の臭みを抜くため。





煮立たせて中火で数分置いて、番茶は流してしまう。





そこへ、鰹節と昆布で取っただしと黒砂糖、たっぷりの日本酒を注ぐ。弱火でことこと、小一時間ほど炊く。





その間に山独活の下拵え。畑の栽培ものと違ってそこそこ灰汁がある。重曹をちょっぴり使って灰汁抜きしよう。





 たっぷりの湯を沸かしたら、山独活を投じて下味の塩を少々、そして重曹をひとつまみ。





ぶわあっとなったらすぐに火から下ろして笊にあける。流水で一回だけ、洗う。灰汁抜きしすぎると持ち味も抜けてしまうからだ。





若い穂先と軸に切り分けておく。来年は、この切り分けを先にして、穂先の灰汁抜きはせずにおこう。





ことこと煮詰まってきた鰊の鍋に、みりん、そばつゆの順に加える。そこへ、山独活の軸だけ放り込んでやる。ひと煮立ちしたところで鍋を火から下ろす。



冷めて味が染み込むのを待っている。

目の前に、鍋の中に、香り高い山独活と鰊が居る。まだ冷めていないから、箸を出せない。堪えられない、我慢が出来ないから仕方なく蕎麦猪口に酒を満たしてやる。冷やで良い。立ったままぐびり、と呷りながら鍋の中を見る。山独活と鰊はそのまま居る。もう、冷めるまで、と我慢が出来なくて、少し味見する。

ふわあああああ。

舌の上から口中に広がった、山独活の香りとほろ苦さが鼻孔に回る。鼻孔に回ってきた瞬間に、ああ、春はいつの間にか満ちて、もう夏が兆しているのだと知る。鰊の脂の濃厚な照りが、山独活の渋みと溶け合って、どこまでも嫌らしくない。冷や酒を口に含むと、酒精が脂を溶かしながら喉を降りていく。

ああ、米と麹と、山独活のある列島に生まれたことが、限りなくしあわせなことに気づかされる。海の彼方からは鰊が届いて炊き合わされて、僕をくらくらさせている。




山の神さまありがとうございます。今宵はこれを堪能します。海の神さまありがとうございます、お恵みを授けていただきました。





身欠き鰊を炊いた所へ載せた山独活の穂先は、とても柔らかく官能的で、目の覚めるような鮮やかな緑をまとって悩ましく、僕はまだ酔ってもいないのに幻惑されて、そのうち空になった皿を惚けたように眺めているしかなかった。