2017年1月28日土曜日

よく冷えた日々のハラペーニョ


とても寒かった夜。

身体の芯まで冷えきって、こころも魂も凍らせて帰った僕は、晩ご飯のチキンに「あれ」を添える。チキンは安い鶏胸肉なんだけれど、削ぎ切りにして塩胡椒とオリーブオイルを揉み込んである。これにパン粉を付けて焼くんだ。左に写っているのは自家製のミートソースとスパゲッティだ。





ある夜は、「あれ」をピザに添えてみた。とても好ましい味わいに、僕は陶然としたものだ。





三九朗(さんくろう)という小正月の行事も終わって、信州松本はとてもよく冷えた。冷えただけじゃない。降って積もって凍り付いて、めちゃくちゃだ。




あなたはご存知だろうか? 
氷点下10度の朝。雪道に、リトルカブのエグゾースト・ノートを響かせる愉しみ。

冬山装備を駆使しても、つらい。仮に時速30キロメートルで走行したとすると、秒速に換算して8.3mの風に吹かれていることになる。じつはwikiで読んでしまったんだ。

日本では俗に、風速が1m/s増すごとに体感温度は約1℃ずつ低くなると言われている

だって。ならば、休日出勤の朝の体感気温が氷点下18度だって。真冬の黒百合平じゃないんだから。

背後の道祖神さんが、高らかに嗤っておられる。





常念山脈がきれいに見えてる。美しいと思う前に「寒いんだよヴォケッ」と悪態のひとつもつきたくなる。こんな日々には、そう、ホットな「あれ」が恋しくなる。切ないくらいのほどほどの辛さで、身もこころも温めてくれる。

そのホットな「あれ」との出会いは、昨年の夏の終わりだった。





地元の農家が実らせたハラペーニョの実。青いものと赤いものが混ぜて売られていた。




どちらもカットして、いわばピクルスにしてしまえ。




ミツカンの「やさしいお酢」をベースにした。ウイスキーのペットボトルで漬け込むところが偏執手帖のスタイルである。




梅酢を加えるところが僕の流儀である。





分量を失念してしまったのだが、ハラペーニョとお酢が同量、塩分を5%と設定。あとから足した梅酢は考慮せず。この状態のまま常温で放置した。

秋も深まって、おっと、ピクルスにされたハラペーニョの写真がない。赤いものと青いものを分けてフードプロセッサーに放り込み、グリーン仕上げ、レッド仕上げとこしらえを変えてみた。結果、グリーンにはさわやかな苦み、レッドにはふくよかな甘みがあることを発見する。





揚げ物には、もう欠かせない。どのくらい欠かせないかを正直に書いてしまうと、「揚げ物という存在は、ハラペーニョソースを食するための言い訳である」という結論に達したほど。










僕の大好物、サバの水煮缶を食する時にも欠かせない。かつて、サバ缶は「マヨネーズを味わうための媒体」と考えていたのだが、違っていた。サバ缶もマヨネーズも、ハラペーニョソースを味わうための舞台装置でしかなかった。






なかなか立派な舞台装置である。寒い夜に、冷えきって帰宅した僕を待っていてくれる。いとしのハラペーニョ。うるわしのハラペーニョ。今夜もきっと。たぶん。




追記。今朝の朝飯をカレーライスとさだめ、このハラペーニョソースをかけて味わってみた。ふつうの家庭のお子ちゃまカレーが、なんともエキゾチックなテイストに豹変、ひとさじにして遥かインド亜大陸に旅することが出来る奇跡のマリアージュ。これからのカリーライフには欠かせぬものとなったことをご報告申し上げる。