2017年7月29日土曜日

まなつのよるのいわし


わたしの好物のひとつに、いわしがある。

いわしと聞けば何でも良く、干してあろうが漬けてあろうが、ためらいなく箸を延ばす。

平日、夜遅くに帰宅すれば、食卓には何もない。育ち盛りのこどもたちが、父の分までぺろりと平らげてしまうのだ。おかずも副菜も、時には白飯も、手鍋のみそ汁も。飯櫃(めしびつ)を覗いて、木曽檜の木目がきれいに洗われていた夜の切なさたるや....。

だから父は、わたしは、食糧を密やかに備蓄している。缶詰、レトルトパウチ、フリーズドライ、エトセトラ。備蓄場所は台所ではなく、書斎である。食の安全保障の基本である。



その夜は、オイルサーディンの缶詰があった。ニッカのウイスキーがペットボトルで売られており、この缶詰が付属していたのである。大きなペットボトルでウイスキーを買うことに躊躇(ためら)いがあるわたしであったが、いわしの缶詰に背中を押されて、買い物かごに不釣り合いなまでの大きなペットボトルを、レジに運んだのである。まぁ伊丸さんの御主人、あんな大きなウイスキーを.... と近所の人に悟られはしないか、レジ待ちの間にマシンガンのようなリズムを刻んでいた脈拍のことを書きたいが、本稿の趣旨から逸脱するので省く。





ふっくらと、ぷっくりと張ったいわしの魚体が官能的である。魚体というふた文字をタイプミスしてしまいそうである。オイルの照りがまた、妖艶である。理性を失わせるヴィジュアルが、いまここにある。





ガスに載せる。そこへ、八ヶ岳産のにんにくを粗く刻んで加える。むかし雑誌で紹介されていた食べ方である。ぐつぐつとオイルごといわしを温めるのである。そして記憶では、このあとたっぷりのタバスコを叩き込む。




ぐつぐつと泡立つオイルが、濃厚な香りを立ち上らせる。海の幸にしてこの惑星の恵み、至高の魚種であるいわしの香りである。その源となった海のプランクトンたちのいのちが紡ぎ出した海の匂いである。わたしの胃袋はよじれ上がり、ごくりと生唾を飲む音が深夜の台所に響いたかもしれない。

よし、いまだ、火から下ろそう。


ここへ、辛味調味料を加える。タバスコも在庫しているが、自家製の唐辛子調味料の出番である。生の唐辛子を醤油麹に漬けて熟成させ、これをペースト状にしたものである。それはもう、辛いのである。



しかしわたしは、空腹のあまり、手元が怪しくなっている。からっぽの胃袋に流し込んだニッカも手伝って、容器を取り落としそうになったりする。

さて、唐辛子のペーストを.....








  

2017年7月15日土曜日

夏のてっぺんへ。


仕事を終え、安曇野の田園に敷かれた鉄路に佇む。彼方には夏を迎えた常念さんが聳えている。

ちかごろ、仕事場へ通うのにカブに跨がるのを止めて、徒歩と電車の組み合わせにしているのだ。歩く時間を楽しみ、車窓の風景によろこび、ふらりと寄った酒場の会話に酔う、そんな日々である。




梅仕事はひと区切りがついてきた。前半の塩まぶし、漬け込みの部分が終わったのである。これは終盤のロットを仕込むところ。安売りの地物梅を買い込んできている。追い熟を終え、庭に出て梅を洗い、風に当てる。そして塩漬けにする。





梅の華やかな香りに誘われたのか、かわいい応援が来てくれた。





季節の目盛りが、またひとつ動いた。淡く兆していた信州の夏が、真ん中へ真ん中へと向かおうとしている。わたしは毎日、駅へと向かう道を変えてみる。3キロ以上の道のりがあるのだ。ある朝はせせらぎのほとりの小道を選んだ。





梅仕事も後半になれば、完成品の保管場所を確保しておかねばならぬ。納戸の掃除を始めると、棚の奥から梅干しのビンがいくつか出てきた。2014年の『豊後』の4L、もはやヴィンテージである。赤くホと書かれているのは、長期保存の意味である。





これも2014年の梅。表面に塩の結晶が析出している。ごくり。





たくさん作っておけば、なくなる心配をせずに梅干しを口にできる。外から帰ってきた坊主も娘も、真っ先にこの梅干しに手を伸ばす。うれしいことである。





今年の梅たちも、そろそろ干し始めよう。結局80kgを仕込んでしまったので、梅雨明けを待てぬのだ。少しずつでも天日に当てていこう。





本年のロット02、和歌山県産南高梅L玉6kg。20%の塩と群馬県産赤紫蘇漬けである。笊に明けると数時間で塩を吹いてくる。梅から梅干しに昇華していく過程を観察するのは、愉しいことである。





半日の天日干しで、陽に当たった側の葉緑素が分解されて、褐色の色合いに変じてくる。裏返すとほら、左側の梅たちには青っぽい感じが残っている。これをまんべんなく繰り返して仕上げていくのである。小学生の娘の、夏休みのお手伝いである。新しい水着というものには、義務も伴うことを、本人は既に学び終えている。




庭の梅の実を30粒ほど、もぎ取って冷凍しておいた。これに氷砂糖を詰め、冷蔵庫の奥深くに忍ばせておこう。きれいなシロップが採れたら、豆どもに飲ませてやる。


暑中、お見舞い申し上げます。


2017年7月7日金曜日

それはご縁かもしれない。


梅を買い求めて帰宅する際、小川のほとりに蛍が舞っていた。アイフォーンのカメラでは写せなかったけれど、宵闇の中に淡い緑のひかりがいくつも揺れている。





その夜の梅がこれ。6月22日に出会えた長野県産小梅。買って来た晩は、蛍のひかりのように緑色をしていた。そうだ、このロットを「ほたる」と名付けよう。二日ほど追熟させると、こんな良い色に変わった。





その週末、蛍たちが遊んでいた小川沿いに歩いてみる。水の底の砂の中には、カワニナもシジミも棲んでいる。





6月29日、梅酒用の青梅が、やや黄熟して売られていた。





色、なり、張り、とてもいい。少し休ませて追熟してから仕込む。





今年のメインロットは白加賀の3L玉。6月30日以降、三回ほどに分けて手に入れた総量は20kgある。量があるので最初から桶に仕込んでいくことにした。熟したものを選り分けて、その分だけを塩漬けに。次の日、そしてまた次の日、追いかけて熟した梅はその上に、その上に仕込んでいく。梅仕事のマエストロ、藤巻あつこ先生の真似である。





メインロットを仕込み中。塩をまぶすのに昨年の梅酢を使っている。この分の塩分があるから、22%ぐらいで漬けてることになるのだろう。





こうやって桶に詰める。丁寧に並べるように仕込んでいく。






ある日曜日には地元の山仲間たちと一緒に梅仕事。その際に仕込んだ記念のロットは、いつか山で味わおう。





7月4日は小振りのL玉を仕込む。





数が多いと、洗ってへた取りをするにも、時を要する。ふだん22時には夢の底に居るわたしが、真夜中まで起きている!





追熟中の梅たち。毎晩のように買い入れてきては段ボールに広げ、休ませている。家中が梅の香りに包まれている。





メインロットの3L玉より少し小さな2L。出来上がりの違いを楽しもうと4kgだけ仕込む。










安く手に入った群馬県産白加賀。10kg近くあるので、これも桶で仕込んでいく。

たくさんの梅たちが、わたしのもとを訪れてくれた。それもすべて、えにしなのかもしれない。そのご縁を大切に、丁寧に丁寧に、梅たちを梅干しへと変えていく。すべての梅の顔、手触り、香り、色彩。そんな表情を覚えておくことはできないだろうから、ふと思い出せる程度にと、ここに書き残しておく。