わたしにも、ささやかながら夏休みが訪れてくれた。日程と天気図とを眺めてみれば、山靴を履いて出かけることは無理なようだ。日帰りで良いからアルプスの稜線の風の音を聴いてみたいと考えていたが、致し方ない。
山への思いを振り切るような朝は、300グラムのスパゲッティを茹でよう。むろん、わたし独りで平らげるのである。具材はベーコンと庭の畑の野菜たち。
オリーブオイルとにんにくの香りを楽しむ時間。後立山方面の某山小屋に居る友人から「酒が切れてやるせない思いをしている」というメッセージが頻繁に届くのだが、やるせなさとやらは、断ち切ってやれそうもない。
ふん、思い知るがいい。
強火にして麺、具材、茹で汁を合わせる。この乳化が、味わいを決める。素材と、火と、オイルが創り出す奇跡である。朝に300グラムのスパゲッティを頂くと、昼飯はもう入らない。ふん、昼寝をこいて夕方までぐうたら過ごすつもりである。これでいいのだ。
ジャックの奴、日陰のひんやりとしたコンクリの上から動こうとしない。こいつはもう7歳ぐらいになる元雄のねこで、去年の暮れから今年にかけて大病を患い死にかけた。悪行の報いだ諦めろ、と引導を渡したつもりが蘇って、いまこうして生きている。それもひとつの奇跡だろう。
アブラゼミ氏は、灼熱に炙られたコンクリの上でも、もう熱さを感じることもないだろう。長い地下生活の後の、一瞬の樹上生活は満たされたものだったことを、わたしは祈ろう。
ある宵、夕立がすぐそこに降り注いでいる。ほんの数分だけ立ち会うことができた、光と時が織りなす奇跡である。そう、すべての風景は奇跡である。
拙宅の近くの葡萄園では、良い香りが漂い流れている。葡萄の香りを嗅ぎながら、ブルゴーニュが一本隠してあったことを思い出す。まだ午後早い時刻なのに、ワインの栓を抜く言い訳が見つかった瞬間だ。
梅たちは、降りみ降らずみ、ぎらりと照ってくれるお陽さまになかなか逢えない。わたしの休日と完全な晴天という組み合わせは、滅多に訪れないものだ。いいさ、曇天ならばもう一日を費やして干してやろう。
こうして梅干たちも、やがて干し上がると笊から瓶に移る。すぐに食べられてしまうのかもしれない。来年、誰かのもとに送られるかもしれない。あるいは、永きにわたって保存されるのかもしれない。梅たちの未来は、運命は未だ定まらず。瓶の中ではゆっくり眠るがいい。