2015年6月24日水曜日

夏へと移ろう 時の狭間に


梅雨入りの頃。信州松本のこの辺りでは、林檎がもうこんなに。すこし前に爛漫の春に浮かれていたら、いつしか夏は兆して果実が太り始める日々を迎えていた。





風が田んぼの水面をゆらす。やがて育った稲で景色は鮮やかな緑に染まるだろう。

そんなある日、ぶらぶらと郊外の丘の方へやって来た。



かつて紳士淑女たちが憩いを求めてやすらいだ場所。いまは廃墟寸前。





きめえええ桑の実。この辺のこどもたちはこれをむしって普通に食すと聞くが、おいらには無理。



やっぱり無理。




どう考えても、無理。食べられないよ。




丘の上、棄てられた乗用車が二台ある。これを見に来た。

おお、木立が以前よりも茂っている。初めて見たのは五年前。




うははははは。やっぱり笑える。

はじめは小さな幼樹だったのだ。すくすく伸びて育って、ボンネットは最初から外されていたのか、エンジンルームを突き抜けて空を目指して。うはははは。やっぱり笑える。いのちのたくましさなのか、用を成さなくなった道具たちの上に流れた空虚な時間なのか。いや、その対比に風景としての面白さがある。ふふ、来年もまた見に来よう。










5 件のコメント:

  1. を、あたし桑の実好き。
    酸っぱい。でもそれがいい。
    あたしの地元は東京の田舎で昔は養蚕が盛んな土地だったので桑畑だらけでした。
    んで勝手にもいで食べてた。
    小学校の理科の授業でもお蚕さんをケゴから繭作るまで育ててね絹糸とるんですよ。
    容量いいのはいつの間にかモスラになって何処かに飛んで行ってしまうんだよねぇ。

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    1. さかしたさん。
      え? これ召し上がれるんですか? ぐえええええええ。

      信州もむかしは桑畑ばっかりで、うちの庭にも何本も生えてます。
      切っても切っても根っこ掘り上げても、どこからか生えて来るんです。
      写真の桑の樹もそんな感じです。
      で、お蚕さんが糸を作って女工さんたちが野麦峠の向こうから来て
      紡いだ糸で工場と軍艦作って近代化やって、今の日本がある。
      そう思うとじぃーんときますね。

      容量で良いんですよ。
      サナギがでっかいやつからモスラになっていくんですから。

      そういえば、信州で? だったかお蚕さん食べるんですよね。
      おいら蜂の子は大丈夫なんですけど、カイコは駄目かもしれない。
      イナゴは平気なのにザザムシが駄目とか、おいらもちょっと変。

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  2. あら要領が容量になってしまった。
    お目汚し申し訳ございません。

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  3. 里山の食材を愛してやまないImalpさんともあろうお方が、くわの実をくわずぎらいとは、これいかに。
    桑の実はワタシの子供時代は信州のハナタレ小僧の日常のオヤツでして、ワタシも小学校からの帰り道よく食していましたよ。好物でした。ただ口の中がムラサキになるので親にバレバレでした。「このガキャあれほど言ったのにまた食ってきやがったな!」
    あと下校時よく食べたのはスモモ、カキ、ツツジの花、グミ、落穂のポップコーンなどです。

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    1. kanosukeさん、まさしくこれ。
      >口の中がムラサキになるので親にバレバレ

      うちの小学生の坊主が遊びから帰って来て、
      無言のままおいらの前に来て「くわっ」って口を開けたんですわ。
      もうホラーでしたね、恐ろしかった....我が子と言えども。

      拙宅の回りが果樹園なんですが、農家さんが嘆いてました。
      穫り頃の葡萄が、何房も消えてしまっている、’くやしいと。
      え? いえ、おいらじゃありませんって。


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